2017/10 ≪  2017/11 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2017/12
『百観音巡礼』
2017/10/28(Sat)
【書名】百観音巡礼 やすらぎと祈りの旅
【発行日】昭和六〇(一九八五)年六月一日
【発行所】実業之日本社
【体裁】本文新書判、丸背厚表紙(新書判よりやや大きめ)、コート紙カバー、帯付。口絵写真・アート紙一頁(坂東第一番杉本寺の写真と坂東三十三ヵ所巡礼歌の句)。装幀・安彦勝博。
【頁数】参考文献一覧を含めて二四四頁
【定価】一〇〇〇円
【国際標準図書番号】ISBN4-408-41043-8
【目次・内容】
 百観音への旅――序にかえて
西国路巡礼――古都の面影
南京秋色        西国第九番 興福寺南円堂
こもくりの泊瀬     西国第八番 豊山長谷寺
大友皇子ゆかりの    西国第十四番 長等山三井寺
洛東の聖地       西国第十六番 音羽山清水寺
坂東路巡礼――東国豪族たちの聖地
古都の青葉       坂東第一番 大蔵山杉本寺
湖畔の浄土       坂東第十八番 補陀洛山中禅寺
坂東最北の札所     坂東第二十一番 八溝山日輪寺
空に浮かぶ御堂     坂東第三十一番 大悲山笠森寺
秩父路巡礼――自由民権の夢
秩父のアフロディテ像  秩父第四番 高谷山金昌寺
自由自治元年の鐘    秩父第二十三番 松風山音楽寺
観音への道――西国三十三ヵ所
鎌倉期にはじまる東国の霊場――坂東三十三ヵ所
武甲山に臨む絹の里――秩父三十四ヵ所
 あとがき
 参考文献一覧
【解題】
 テーマとしては『寺のある風景 坂東三十三ヵ所』の続編で、百観音巡礼に絞った拡大版であり、造本としては『文学碑のある風景』に続く実業之日本社の「小B6判シリーズ」の第二弾にあたる。前半三章の本編と、その総説というべき後半三章の計六章から成る。
 前半の三章はそれぞれに旅の伴走者が異なる。一章の「西国路巡礼」は奥様。これが好いのである。その会話により、旅の進行やそこに語られる故事・風物・物語の解説を兼ねているのだが、本文中でも、

 ――なんだ。これじゃあ、季節こそ違え、まるで堀辰雄の『花あしび』の旅みたいなもんじゃないか……。私は心の中で呟いた。
     ――「西国路巡礼」「南京秋色――西国第九番 興福寺南円堂」


 と断っている通り、ちょっとくすぐったいようだけど、たいへん微笑ましくも好ましいものになっている。この時の奈良、大津、京都への旅は「十一月ももうなかば」ということだが、おそらく昭和五九年のことだろう。
 二章「坂東路巡礼」(の中禅寺と日輪寺)では、「宇都宮大学の学生渡辺君」がランドクルーザーを運転して取材に協力。そして三章「秩父路巡礼」で自家用車を運転し案内役を務めるのは、「私の演習(ゼミ)の学生の一人、明大生駒野君」である。
 後半の三章は、百の観音様について、①キャッチコピー的な一口紹介 ②番所ナンバーと寺の名称 ③本尊 ④二~三行の小解説 ⑤順礼歌(御詠歌)=春秋社版『日本歌謡集成』第五巻からの引用 ⑥所在地の住所とアクセス案内 で構成される。
☆西山蔵書
スポンサーサイト
この記事のURL | 1980年代の著書 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『三島由紀夫―反『日本浪曼派』論』
2017/10/19(Thu)
【書名】三島由紀夫―反『日本浪曼派』論
【発行日】昭和六〇(一九八五)年四月五日
【発行所】林道舎
【体裁】四六版上製、角背朱色厚表紙、函入り、帯付。先の『中村真一郎とその時代』に準じた色違い同意匠。口絵アート紙一頁(終章の「一枚の肖像写真」で語られる剣道着姿の極めて健康で「どこにも精神の腐食の翳りがない」三島由紀夫のスナップ)。
【頁数】一五九頁
【定価】二〇〇〇円
【目次・内容】
誄辞――憂国忌十年祭に
Ⅰ 反『日本浪曼派』試論
 1 反『日本浪曼派』試論
   体験としての『日本浪曼派』 「水中花」・静雄詩
   戦後・反『日本浪曼派』   道造詩のナショナリズム
   午後の陽光
 2 昭和十年代の詩と思想
   「日本浪曼派広告」     浪曼派の詩人たち
   文学的に本主義       吉田一穂の詩
 3 伊東静雄
   ナショナリズムとしての『日本浪曼派』
   戦後の伊東静雄       『日本浪曼派』への参加
   浪曼者としてのナショナリズム意識
Ⅱ 終末からの出発
 1 三島由紀夫における少年期
   作家の死          特異な幼年形成
   詩を書く少年        「花ざかりの森」へ
 2 唯美と詩精神――「初期詩篇」「花ざかりの森」の位相
   作家の詩的体験       「初期詩篇」をめぐって
   「抒情詩抄」の周辺     『花ざかりの森』の世界
Ⅲ 花花の思想――作品論への試み
 1 短篇「剣」の美学――夭折への夢想
   所謂「三島事件」の記憶   一般論としての「武技」認識
   反時代的美意識       夭折への夢想
 2 文学とVisual Media ――川端、三島、中村の文学
   Visual Mediaのなかの文学  『雪国』とVisual Media
   Visual Mediaの肥大化    文学の危機
 3 『潮騒』紀行
   伊勢湾の海と空       夢幻劇の世界・海女の美しさ
   『潮騒』の愛        浄福の性
Ⅳ  憂国と死と
 1 虚妄としての行動の思想
   日本人の武器感覚      儀式と現実
   武技と教養         尚武の心
   再び美学について
 2 死者への献辞――回想としてのモノローグ
   『豊饒の海』終章      詩を書く少年への回想
   終末からの出発       一枚の肖像写真
 あとがき――憂国忌いくたび
【解題】
 戦後派の小説家で、小川和佑先生が終生追い駆けた二大作家は中村真一郎と三島由紀夫である。この一年半前(わずか一年半前!)に上梓された『中村真一郎とその時代』と対になる三島由紀夫論を集成した長編評論。本書の成り立ちは「あとがき」をそのまま引用した方がよいであろう。

 本書には作家の生前の一九六八年に執筆した反『日本浪曼派』論(原題「日本浪曼派」ノート」から、八四年の「死者への献辞」「憂国忌いくたび」までの十七年間の『日本浪曼派』論・三島由紀夫論を収録した。この中、「唯美と詩精神」を収めた『三島由紀夫研究』は研究の領域からの最初の一冊だった。この一冊が完成したおり、作家は非常に喜んでくれた。それを編者の一人としたいまは懐かしく回想する。――それから十五年、時代は深層で激動し、再び作家の思想が再評価されようとしている。ここに収めた諸論はその深層の逆流に対する筆者の刻々の意志を語ったものである。四章のそれぞれの主題は四重奏のように一つの統合された大主題を構成する。それは三島由紀夫逝き、保田与重郎の逝った現在、『日本浪曼派』の文学と思想とはなにかという問いに応えるべきものでもある。
 これは戦後詩・戦後文学に参加した筆者の自らにあえて問わねばならぬ主題でもあった。
 ――と同時に同時代者として、作家の輝かしい文学の出発から終末までを目撃した筆者の今年、憂国忌十五年祭に捧げる献辞でもある。
          ――「あとがき」(一九八五年 春)


 解題の必要がないほど明快に語られている。
 なお、Ⅲの2の「文学とVisual Media」は末尾(一〇五頁)に、

(補記)本稿は一九八四年五月十七日第四十五回国際ペン東京大会において、"Citnatune and Visual Media"のセクションで発表された原稿に基づいた一篇である。


 とあるが、"Citnatune"は"Literature"の誤植。「第四十五回」は「第四十七回」の誤りである。
 この国際ペン東京大会は、昭和五九(一九八四)年五月一四日から一七日まで東京新宿の京王プラザホテルで開催され、そのうち一五日~一七日の各三日間、分科会A、B、Cがそれぞれ開かれた。このうち分科会Cが"Literature and visual media"(文学と映像媒体)で、その最終日に小川先生は登壇した。
 この章はその発言を基にした原稿ということだが、おそらくその発言の元の原稿があり、元原稿、実際の発言、本書の決定稿と、それほど大きな異同はないものと思われる。つまり、最初から完璧な原稿を作成し発言したものと推測される。
 日本ペンクラブの公式ホームページによると、参加センター四五、海外からの参加二一九名、日本ペン会員参加三五一名、一般参加五三名と記録されている。
 当時、小川ゼミの現役の四年生であった仏文学専攻の五十嵐正人さんがその最終日に参加している。(本書の誤植に関してご教示を受けた。この場を借りて御礼申し上げます)。
 この大会の全体のテーマは「核状況下における文学――なぜわれわれは書くのか」というものであった。代表者会議で核兵器の廃絶についての決議案ほかが可決された。当時相当刺激的で画期的な会議として世間一般でも大いに注目された。私はやっと大学二年に上がって小川ゼミに入ったばかりで、文学を取り巻く現状認識などまるでなかったが、鮮やかな印象として記憶に残っている。
 時あたかも「1984」である。それから実に三十三年が経ったが、世界は良くなるどころか益々混迷を深め、核戦争の危機が「冗談じゃなく」現実のものとして目の前に迫っているというのにも拘わらず、一九八〇年代(の特にこの八三年あたりから八五年にかけて)の方がよほど危機感があったように思うのはどういうわけだろう。
「なぜわれわれは書くのか」という根源的なそして常に顧みられなくてはならない問いもとんと聞かれなくなった(ような気がする)。そんな青臭いことをと一笑に付していいのだろうか。この危機感のなさは、当時危機を感じて声を上げた多くの人がすでにこの世に亡いからなどというのじゃあるまいな!
 今こそ文学者はいっせいに卒倒すべきではないのか。パフォーマンスとしてでもいいから。今度の衆議院選挙に際して、国会議事堂前で本当に倒れてみたらどうだろう。(なら、お前がやれという話かもしれませんが……)。
          ――平成二九(二〇一七)年一〇月一六日記
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
この記事のURL | 1980年代の著書 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
人を愛することの意味
2017/10/14(Sat)
伴侶としての性と愛
 この「伴侶としての性と愛」というフレーズはそこに「人生の」という語が冠せられる。
 性と愛を抜きにして人の生涯は考えられないし、またそれが人生の意味の多くを占めるたいせつな要素であることも言うまでもない。
 ……  ……
 この現代の経済社会はいま文化の反省期なのだ。その反省期は「人間として」という強烈な意志において検証されねばならない。そのためには「伴侶としての性と愛」が新たに正面に提出された課題として重い意味を持って来る。
 この問題はかつて高橋和巳が長編『悲の器』で提示していた。法学者正木典膳の破滅の人生は性と愛とに操られている。生涯にただ一度の愛のために、あらゆる妥協を排して破滅を急ぐこの法学者の姿に、いま現代の性と愛をいかに考えるかが改めて提示されたきわめて良質なテキストとしての意味を持っている。
 ……  ……
東歌のなかの性と愛
 二本松市の郊外、かつての三春街道十字路に江戸後期の万葉歌碑がある。……  ……
  安太多良の
  嶺に伏す鹿猪のありつつも
  吾は到らむ
  寝処な去りそね
 安達太良山にやどる獣のように、私はいつもきまってお前を訪れよう。だから寝処を変えるなよ。――とまあ、こんな意味である。……  ……
 東歌には多くの民謡が収録されているからこれも民謡だと考えれば、これは労働歌ではなかったろうか。苦しい労働のおり、心を励ますためにいまでもエロチックな歌などを歌って女たちに嬌声を挙げさせ、それを活力に男たちは労働の苦痛に堪えるという光景は現在で続いている。
 ……  ……
 ここでは「性」がごく自然に生産と労働の中に組み込まれている。その「性」には影がない。……  ……
  上つ毛野
  阿蘇のま麻むら かき抱き
  寝れども飽かぬを
  あどか我かせむ
 ……  ……
 これも元来は民謡だろう。「上つ毛野」が労働歌なら「安太多良の」と少しその質が違って、ここでは「性」は自らを鼓舞するために歌われている。……  ……
 ……  ……
 古代人の「性」は現代人のそれのように病んではいない。「伴侶としての性」はいつも労働・生産を活性化させる「性」である。「上つ毛野」の歌では「性」は歓喜であっても惑溺ではない。
 しかし、現代の「性」は古代の「性」のようにもう生産と一元化される要素を失っている。それは不毛の性としか呼びようもないほど荒廃したものである。問題はそれなのだ。現代人はもう一度、生産・労働・性の回路を回復させる必要はないか。
『悲の器』のように破滅へ向かって滑降する「性」ではなく、調和と上昇を志向する「性」を必要としてはいないだろうか。現代の男性たちはこの辺で、古代の「性」の原点にもどり意識そのものを変革しなくてはならない時期に至っているようだ。
 しかし、それだけではない。東歌だけで古代人たちの精神生活の総てを考えることも、危険である。東歌の中にはしきりに「し」という形容詞が多く使われている。
  多摩川に さらす手作り
  さらさらに
  なぞにこの子の
  ここだ愛しき
 
  我が恋は
  まさかも愛し 草枕
  多胡の入野の
  奥も愛しも
  (原文にはふりがなと語釈付き)
 ここではもう「性」は「愛」に昇華されている。「愛」という漢字(外来語)を「かなし」と訓ませた『万葉集』の表記者は、もうこれは詩人そのものであろう。
人麻呂歌に見る「愛し」
 その頂点が人麻呂歌ではなかったか。『万葉集』巻二の挽歌収められた「柿本朝臣人麻呂・妻死にし後に、泣血愛慟して作る歌二首 併せて短歌」にそれを見ることが出来る。
  秋山の
  黄葉を茂み 惑ひぬる
  妹を求めむ
  山道知らずも
 死者の魂は山に還るという。大和は四辺を山門に囲まれている。山に還った妻の魂を求めて黄葉した秋の山に迷い入る嘆きながら私なのだと、人麻呂は歌う。これは「愛し」の頂点である。……  ……
 この思いの深さに較べれば現代の愛と呼ばれているものがひどく軽薄に見えて来ないか。もっとも、現代の男性たちはとても気恥ずかしくて「愛」などと口に出してはいえないという一面はよく分かる。どうも古い意識の中には人生を仕事だげに鈍化して、一種の衆道者的精神を理想としている男性たちが多い。「愛」や「性」などというものは仕事の疲労回復剤の一種くらいに考えている。そこに人間としての欠陥があることをまるで気づいていない。……  ……
 ……  ……
 人麻呂歌は巻中の「石見国自傷歌」で挽歌の部を閉じる。
  鴨山の
  岩根しまける 我れをかも
  知らにと妹が
  待ちつつあらむ
 この歌には「柿本朝臣人麻呂 石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首」という詞書がついている。
 梅原猛の『水底の歌』によって、にわかに注目された歌だ。……  ……
 ……  ……
 ……  ……歌の意は「鴨山の岩を枕にして死んでゆこうとする我。その非業の死を知らずに妻はわが帰りを待ちつつあるだろうよ。」である。「岩根しまける」を行路死ととるか、刑死ととるかが解釈の分かれ目なのだが、いずれにしても自然死ではない死を「岩根しまける」に籠めている。それを水死刑と考えた梅原説はこの歌の凄愴を詩的に増幅すものだった。
 この歌は「愛し」の最極限下に歌われている。「知らにと妹が待ちつつあらむ」という下の句に、人麻呂の石見妻の依羅娘子の「愛の絶対」が彼には信じられている。こうなると、この「愛」は「性」から切り離されて心性そのもになっている。妻の「絶対の愛」と等質な「愛」を彼もまた所有しているからこそ「岩根しまける我れをかも」と嘆くのである。
 この「愛」の形は希釈されてしまった日常の次元ではなかなか見え難い。しかし、それが詩に昇華されたとき、その見え難いものがはっきり見えて来る。それが文学の最大の効用だといえる。それにしても、現代人のなん人が果して「知らにと妹が待ちつつあらむ」と歌いきれる自信を持っているだろうか。
 いま人間の精神は魂の空洞化、荒涼化の中で限りなく解体を急いでいる。復古主義という意味ではなく人麻呂歌再読の必要性は魂の回復のために必要ではないか。
 現代人がその人生の総てを仕事において純化しようと意志して来たことは、確かに近代の出発以来の大きな経済水準の格差から来る貧困から脱出するを得た。しかし、一方で考えて見ればその純化の志向は物的充足に対する熾烈な執着といえないこともない。
 物的価値観から見れば「万葉の性と愛」など取るに足らぬかも知れぬ。――が、それでは人間としての存在そのものはどうなのだと問いたい。荒野の時代だからこそ「伴侶としての性と愛」の意味は重い。
 極限すれば「愛し」を分らぬ人間に信がおけぬのだ。
 
     ――小川和佑『生きがいの再発見 名著22選』
        「3 伴侶としての愛と性――生の原点としての」
        「万葉集――人を愛することの意味」より
        (一九八五年二月・経林書房)
この記事のURL | 小川和佑先生の言葉 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『生きがいの再発見 名著22選』
2017/10/10(Tue)
【書名】生きがいの再発見 名著22選
(※「22」は横組みである)
【発行日】昭和六〇(一九八五)年二月二五日
【発行所】経林書房
【体裁】四六判ソフトカバ―、コート紙カバー付。
【頁数】二二〇頁
【定価】一二〇〇円
【国際標準図書番号】ISBN4-7673-0225-0
【目次・内容】
プ口口ーグ/文学の娯しみ
黒の試走車――情報社会下での小説
1 時代の指導者群像
   源氏物語――帝王の英知
   箱根の坂――時代の創造者を描く司馬遼太郎
   深重の海――津本陽の書かれざる維新史
   風濤――井上靖の描く国家とは何か
2 転換期の知識人たち――明治・大正を生きた
   舞姫――森鷗外とエリート青年の挫折
   奔流の人――夏堀正元のもうひとつの幕末維新像
   河童――芥川の描いた近未来図
3 伴侶としての愛と性――生の原点としての
   万葉集――人を愛することの意味
   菜穂子――堀辰雄の描いた愛の不毛
   古事記――英雄叙事詩の純愛
4 青春と老年を考える――回帰する人生
   三四郎――夏目漱石の描く青年像
   なぎの葉考――野口富士男の青春挽歌
   卒塔婆小町――老を描く古典
   三熊野詣――三島由紀夫の老年の夢想
5 集団力学と個の存在
   いつもと同じ春――辻井喬の個を曝す孤独
   風の王国――五木寛之の近代の超剋
   パリ経由・夕闇のパレスチナ――胡桃沢耕史の冒険小説の魅力
6 日本人の死生観
   その年の冬――癌の病床で執筆の立原正秋
   静かなノモンハン――伊藤桂一の無名者の死生観
   海燕ジョーの奇蹟――佐木隆三に見る南溟
   HIROSHIMA――小田実の描く現代、その死と生
あとがき
【解題】
 この本は、先生の全著作に照らしても、先生の文学観、死生観、日本人観、さらには愛と性、青春と老年、現代社会といったものに対する考え方が、最も端的に出ている本である。 

――と、まあこういうように文学の娯しみというものは堅苦しいものではない。もっと身近で、時代ごとの人間像を通じて、具体的な知恵を鏡に映し出しているものである。そこから人はさまざまな事柄を学ぶことができるし、かつて、人は実際にそれを学んで来た。
『古事記』『万葉集』のような古典といえども、それは変りない。ここではそうした日本文学の古典から現代の作品までを、文学史という教科書臭い時間・空間を取り払って専ら自由に人間の知恵・文学の娯しみについて語ったものである。――つまり、この一冊は筆者にとっての書き下ろし『私説・文学入門』であり、従来の類書のような名作案内・あるいは名作鑑賞といった発想を全的に廃除したものである。
     ――「プロローグ――人間の知恵・文学の娯しみ」


 というように広く一般社会人を対象に書き下ろされた評論で、そうした性格から軽評論的に平易な文体で書かれているが、逆にのびやかに、しかし厳として先生の〈思想〉が語られている。現代教養文庫の『青春の記録』三冊とともに必読の書である。是非読んでいただきたい。(特に「3 伴侶としての愛と性――生の原点としての」の「万葉集――人を愛することの意味」の部分は本ブログの「小川和佑先生の言葉」として別に抄録する)。
☆西山蔵書
この記事のURL | 1980年代の著書 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『寺のある風景 坂東三十三ヵ所』
2017/10/03(Tue)
【書名】寺のある風景 坂東三十三ヵ所
【シリーズ名】さきたま双書
【発行日】昭和六〇(一九八五)年一月二五日
【発行所】さきたま出版会
【体裁】B6判ソフトカバー、透明ビニールカバー巻き、帯付。表紙の写真は(上)安楽寺、(下)正法寺の石観音、撮影は清水武甲。
【頁数】二一二頁
【定価】一五〇〇円
【国際標準図書番号】ISBN4-87891-028-3
【目次・内容】
寺のある風景――序にかえて
〈神奈川県〉
第 一 番 シバの女王なぜここに?   大歳山杉本寺……鎌倉市
第 二 番 縁にぬれる鏡花の文学碑   海雲山岩殿寺……逗子市
第 三 番 尼将軍政子ゆかりのつつじ寺 祇園山安養院……鎌倉市
第 四 番 小学唱歌「鎌倉」に登場   海光山長谷寺……鎌倉市
第 五 番 心そそる鑑真和上の持仏   飯泉山勝福寺……小田原市
第 六 番 丹沢山麓の縁結び寺     飯上山長谷寺……厚木市
第 七 番 源実朝の誕生を祈願した観音 金目山光明寺……平塚市
第 八 番 白昼に輝く星の伝説     妙法山星谷寺……座間市
〈埼玉県〉
第 九 番 秘境奥武蔵を往く     都幾山慈光寺…比企郡都磯川村
第 十 番 坂上田村麻呂の悪竜退治  巌殿山正法寺……東松松山市
第 十一 番 江戸建築のバロック手法  岩殿山安楽寺……比企郡吉見町
第 十二 番 三蔵法師眠る十三塔    華林山慈恩寺……岩槻市
〈東京都・横浜市〉
第 十三 番 文学碑に魅了される文化の里 金竜山浅草寺…台東区浅草
第 十四 番 東国の風と土、鉈彫り観音  瑞応山弘明寺…南区弘明寺町
〈群馬県〉
第 十五 番 天女舞う榛名山麓の修験寺  白岩山長谷寺…群馬県榛名町
第 十六 番 西上州の水澄む聖地   五徳山水沢寺…北群馬郡伊香保町
〈栃木県〉
第 十七 番 四面をにらむ青竜の神秘   出流山満願寺……栃木市
第 十八 番 華麗なる色彩湖畔の御堂   補陀洛山中禅寺…日光市
第 十九 番 空海伝説の密教仏      天開山大谷寺……宇都宮市
第 二十 番 土と火に彩られた陶芸の里  独鈷山西明寺…芳賀郡益子
〈茨城県〉
第二十一番 伝説に包まれた八溝の深山  八溝山日輪寺…久慈郡大子町
第二十二番 優美な桃山建築の四重奏   妙福山佐竹寺…常陸太田市
第二十三番 数奇な運命の御仏たち    佐白山観世音寺……笠間市
第二十四番 奇祭マダラ鬼神祭      雨引山楽法寺…真壁郡大和村
第二十五番 さくらに埋もれた小さな大御堂 筑波山大御堂…筑波郡筑波町
第二十六番 古代歌謡と花花の道     南明山清滝寺…新治郡新治村
〈千葉県〉
第二十七番 海から生れた観音菩薩   飯沼山円福寺……銚子市
第二十八番 民話をいまに利根の古刹  滑河山竜王院……香取郡下総町
第二十九番 豪族千葉氏の興亡とともに 海上山千葉寺……千葉市
第 三十 番 春雨煙る古寺の美しさ   平野山高蔵寺……木更津市
第三十一番 樹木にそびゆる大悲閣   大悲山笠森寺……長生郡長南町
第三十二番 九十九里浜を往く巡礼道  音羽山清水寺……夷隅郡岬町
第三十三番 海の見える石段で旅は終る 補陀洛山那古寺…館山市
付録 坂東三十三ヵ所所在案内
あとがき――取材を終えて
参考文献一覧
【解題】
 各札所ごとに六頁の割付で、エッセイ本文と写真、イラスト地図、「取材メモ」によって構成されている。『各駅停車 栃木県』とはまた別の意味で異色の一冊である。巡礼者への利便も考えられているのだが、本書の解題は先生の言葉をそのまま転載した方がいいだろう。

 この『寺のある風景・坂東三十三ヵ所』は第一番の杉本寺から、第三十三番の結願の那古寺までの風景を複眼的に寺々の歴史や風物、古い伝承をルポルタージュ風に語った一冊である。
 ある古刹では本尊の観音像について渡来仏や天平仏の美しさを語り、またある一寺ではその寺を氏寺とした豪族たちの興亡を語った。そして、寺々の季節季節の花を歌い、風を描いた。
 『寺のある風景』は筆者にとっての詩であり、物語であり、仏像・仏殿への憧れを綴ったエッセイでもある。
 記載にあたっては各寺の写真を入れ、案内地図を付し、それぞれの文末には、巡礼者の利便を考えて「取材メモ」の一章を設けた。
          ――「寺のある風景――序にかえて」


☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
この記事のURL | 1980年代の著書 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『堀辰雄 その愛と死』
2017/09/29(Fri)
【書名】堀辰雄 その愛と死
【シリーズ名】旺文社文庫 200―2
【発行日】昭和五九(一九八四)年一月二五日
【発行所】旺文社
【体裁】文庫判、カバー装。カラー口絵(アート紙)四頁。カバー写真(浄瑠璃寺)と口絵のカラー写真・佐藤英世。本文イラスト地図・橋本金夢。資料図版多数収録。
【頁数】二八二頁
【定価】三八〇円
【国際標準図書番号】ISBN4-01-061400-5
【目次・内容】
PROLOGUE 信濃追分の夏―追想の堀辰雄
Ⅰ 生の意識―生涯のフィルム
   軽井沢風景   幼年時代―下町の父子像
   麦藁帽子の季節   下町育ち   室生犀星
Ⅱ 作家の出発
   震わが母を見わけぬうらみかな   母、志気の死
   軽井沢・文学サロン   作家の出発
間奏曲その1 あひ見ざりせは…… ―芥川龍之介の恋
   おもかげの芥川龍之介   村松みね子はきのふ来にげり
   野に架る虹
間奏曲その2 『聖家族』まで―芥川龍之介の死
   現し身を嘆ける   再び夏に   秋風高原
Ⅲ 詩的饗宴の季節
   天使たちが……   浅草狂詩曲
Ⅳ 絵のなかの少女
   「毛の帽子」の少女   心理主義の快楽―堀辰雄の虚実
   若葉の輝き
Ⅴ 風立ちぬ Le vent lēve,―
   美しい村   アカシアの並木
   補説・青春の書―『美しい村』『風立ちぬ』
Ⅵ 幸福の谷―愛の始め・愛の終り
   短夜の看とり給ふも……   富士見高原にて
   桜沢越冬―鎮魂歌
Ⅶ 四葉のクローバー
   牧歌   軽井沢山荘の初夏   折口信夫・古典への愛
Ⅷ 旅への誘い
   古都の青葉   静かなる意志   旅への誘い
Ⅸ 大和路への旅
   古寺幻想   佐保道の秋   妻への手紙
   秋篠寺・ある深淵   補説・大和しうるはし
Ⅹ 花あしび
   続・妻への手紙   木曾路の雪   浄瑠璃寺の春
epilogue
あとがき
【解題】
 文庫版『立原道造 忘れがたみ』に続く旺文社文庫のための作家評伝であるが、こちらは新稿による書き下ろしである。
「文庫本の書き下ろしということは類例の少ないことだが、堀辰雄を文庫に入れるならば、既刊の旧著の論文を再構成することをしたくなかった。もう一度、新しく初めから、この作家の生涯をたどり直してみたいと思った」とあとがきにある通り、例えば「生の意識―生涯のフィルム」という章の見出しは『評伝 堀辰雄』(昭和五三年六月刊)にもあるが、内容は大幅に異なっている。 

 堀辰雄が惹かれた二上山も見た。山の辺の道も辿った。佐保路、奈良坂を越えて浄瑠璃寺も。あの病弱な堀辰雄がこんなに歩いたかと、いままで、数度、奈良の古寺を訪ねながら、迂闇だった距離感を改めて思い知った。現代の車文化が即物的、実感的な作家像を見落させていたことが分かった。
 当麻寺の崩れかけた経堂の前に日本最古の石灯籠があり、東西両塔が杉木立の上に聳びえ当間寺駅からここまでもやはりかなりの道のりだった。そういう発見の驚きとともに、堀辰雄のたどった場所に立つと、その視界に収まる風景は観光案内的な奈良、大和の美しさではない、ほんものの、それこそ原質といっていい風景を繰り広げてくれた。
 それが、堀辰雄という作家をもう一度、初めから考え直したい大きな動機となった。  ――「あとがき」(一九八四年一月)


 先に出た同文庫の『立原道造 忘れがたみ』の姉妹編というべきもので、ドキュメント風に堀辰雄の生涯が描かれている。この二冊は文庫本(しかも当時メジャーな出版社があまり出さないような隠れた名著をたくさん出していた今はなき旺文社文庫ということもあり)、学生でも手に取りやすく、一九八〇年代中頃の特に若い読者に相当な影響を与えた書だと思われる。清冽な文学の世界への導入として、作家・詩人の魅力を増幅させ、文学的ロマンに誘った。なかには悪酔いする者もいたかもしれない。この二冊と『伊東静雄 孤高の抒情詩人』と『文壇資料 軽井澤』の四冊を併せて文庫で復刻してくれないかと切に願う。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
この記事のURL | 1980年代の著書 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『文学碑のある風景』
2017/09/19(Tue)
【書名】文学碑のある風景 詩の心、詩の風土
【発行日】昭和五八(一九八三)年一二月二〇日
【発行所】実業之日本社
【体裁】本文新書判、丸背厚表紙(新書判よりやや大きめ)、コート紙カバー、帯付。口絵写真・アート紙一頁(三好達治「春の岬」詩碑)。装幀・安彦勝博。
【頁数】写真提供者一覧含めて二六〇頁。
【定価】一〇〇〇円
【目次・内容】
文学碑の旅へ
  風景との遭遇
  旅への誘い
  発見の喜び
川端康成「国しのびの歌」碑   奈良県桜井桧原井寺池畔
山部赤人「津田の細江」歌碑   姫路市飾磨区溝、思案橋際
中山道碓井峠の万葉歌碑     長野県軽井沢町旧碓氷峠展望台
柿本人麻呂「遊女の祈り」古歌碑 東京都台東区浅草神社境内
和泉式部「薄墨ざくら」歌碑   福島県石川町小和清水
芭蕉『奥の細道』文学碑     福島県白河市旗宿
其角「雨乞い」句碑       東京都墨田区向島二丁目三囲神社境内
大和田建樹『鉄道唱歌』詞碑   東京都港区新橋二丁目国鉄新橋駅舎
樋口一葉『たけくらべ』文学碑  東京都台東区竜泉寺町一葉記念館
森鷗外小倉旧居と文学碑     北九州市小倉鍛冶町
正岡子規法隆寺句碑       奈良市五条町法隆寺境内
伊藤左千夫『野菊の墓』文学碑  千葉県松戸市西蓮寺境内
泉鏡花『婦系図』ゆかりの筆塚  東京都文京区本郷湯島天神境内
島崎藤村『夜明け前』文学碑   長野県木曽郡福島町大手町
土井晩翠「荒城の月」詩碑    宮城県仙台市青葉城址
与謝野晶子「海こひし」歌碑   大阪府堺市甲斐町一四一
若山牧水記念館と「望郷」歌碑  宮崎県東臼杵郡東郷町坪谷
吉井勇祇園歌碑         京都市東山区祇園町白川畔
北原白秋「帰去来」詩碑     福岡県柳川市矢留小学校前白秋詩碑苑
石川啄木北上川畔歌碑      岩手県岩手郡玉川村渋民鶴塚
石川啄木浅草等光寺歌碑     東京都台東区西浅草等光寺境内
夏目漱石鴨川句碑        京都市中京区御池大橋際
高村光太郎『智恵子抄』詩碑   福島県二本松市二本松城址
有島武郎文学碑         長野県軽井沢町三笠
永井荷風「震災」詩碑      東京都荒川区南千住二浄閑寺境内
萩原朔太郎「帰郷」詩碑     群馬県前橋市敷島町敷島公園
大手拓次「川に鳴る鐘」詩碑   群馬県安中市磯部温泉碓氷川畔
室生犀星「あんず」詩碑     石川県金沢市中川除町犀川畔
佐藤春夫「望郷五月歌」詩碑   和歌山県新宮市熊野速玉神社
会津八一唐招提寺歌碑      奈良県五条町唐招提寺金堂左側
西条八十「銀座の柳」詞碑    東京都中央区銀座八丁目新橋際
大仏次郎記念館         神奈川県横浜市中区山手町
伊藤整「海の捨子」詩碑     北海道小樽市塩谷ゴロタの丘
宮沢賢治「雨ニモマケズ」詩碑  岩手県花巻市下根子片桜
林扶美子「花のいのちは」詩碑  鹿児島市桜島町古里温泉
小林多喜二望郷の文学碑     北海道小樽市旭山展望台
三好達治「春の岬」詩碑     福井県坂井郡三国町東尋坊海岸
中原中也「帰郷」詩碑      山口市湯田温泉井上公園
立原道造「アダジオ」詩碑    岩手県盛岡市愛宕山中腹
伊東静雄「曠野の歌」詩碑    大阪市住吉区住吉高校
亀井勝一郎文学碑        奈良市西の京薬師寺大宝蔵殿前
太宰治「不死鳥」文学碑     青森県北津軽郡金木町芦野公園
原民喜「幻の花」詩碑      広島市大手町原爆ドーム前
峠三吉原爆詩碑         広島市広島平和記念公園内
井上靖「千本浜」詩砕      静岡県沼津市千本松原
 全国主要文学碑一覧
 あとがき――取材を終えて
 〈写真提供〉
【解題】
 一篇(一文学碑)につき原稿用紙三枚ほどのエッセイと写真で綴る文学碑への旅。本のスタイルとして、のちの『百観音巡礼』『旬の菜時記』『花暦十二ヶ月』『花とことばの文化誌』に続く瀟洒な小型本エッセイ集の嚆矢である。
「北は北海道の啄木から南は鹿児島の林扶美子、時代的には万葉から井上靖まで、代表的な文学碑を訪ね、碑文の背景と作家の肖像を活写した文学風土記」と帯にあるように、単なる文学碑案内というのではなく、作家・作品の文学地誌を洗い直す文芸批評になっている。かつ随筆として軽快に読め、折に触れて頁を繙くの適している。
 決められた枚教内にぴたりと文章を嵌め込む手腕はさすがである。また、取材の仕方や写真の撮り方まで紹介されていて、これは大いに参考になる。文学のフィールドワーク入門として読めるわけだ。
 実際、昭和五九年の明大での「詩歌研究」は本書をテキストに、夏休みの課題は、学生の郷里や身近な文学碑を訪ねて写真と文章でリポートするというものであった。(この時二年生だった私は、語学の必修科目が重なっていてこの授業を履修することができず、三十年以上たった今でも残念に思っている)。
「あとがき」に、「ここ二、三年、二つの新聞と一つの雑誌に文学碑のエッセイを書き続けさせることになって」、「そのうちから約三分の一を選び、地域や時代を考慮に入れて一冊にまとめることにした」とある。ということはほかにもまだ原稿が二冊分あるということで、初出を探索したいものである。

 文学碑の旅はいつも新しい歌枕を訪ねる旅であり、文学の風景との出会いであった。(――「文学碑の旅へ」冒頭)


 ノートとカメラを片手に旅する先生の姿が目に浮かぶような本である。――それにしてもよくぞここまで巡ったものである。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
この記事のURL | 1980年代の著書 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『中村真一郎とその時代』
2017/09/05(Tue)
【書名】中村真一郎とその時代
【発行日】昭和五八(一九八三)年一一月一五日
【発行所】林道舎
【体裁】四六版上製、角背コバルトブルー厚表紙、函入り、帯付。口絵アート紙二頁(中村真一郎照影/自筆原稿「立原道造」三枚・色紙一枚・「四季」第六六号と「高原」第二輯の表紙)。
【頁数】二一九頁
【定価】二〇〇〇円
【目次・内容】
Ⅰ 幻覚の饗宴
 1 幻覚の饗宴
  中村真一郎の梶井基次郎論 ボードレリアンとしての梶井基次郎
  視覚者としての文学   「桜の樹の下には」
  幻想と反世界   夢、あるいは想像力について
  (中村真一郎最初期の単行本未収録小品「窓」全文掲載)
  「死の影の下に」の意味
 2 マチネ・ポエティク
  マチネの詩   ひとつの時代   その史的位置
 3 中村真一郎の性と思想
  固有の思想   物語への憧れ
  その性描写   オンディーヌ志向
Ⅱ 作家以前の中村真一郎
 1 作家の幼年
  死の音楽   海に降る雪   心象の海   幼年
 2 青春と時代
  目覚め   父の死・青春   時代
  立原道造の死   高見順
Ⅲ 中村真一郎とその時代
 1 『恋の泉』――近代の日本と知識人
  『恋の泉』―六〇年代の文学と《性》をめぐる   風俗の最前線
  夢の構築・作家の想像力   小説の方法・小説のなかの時制
  反私小説の中の主人公、民部兼広   日本の近代と知識人
  八十年代の小説への架橋   『恋の泉』における性の思想
  筆者自身のためのモノローグ①
 2 『「雲のゆき来』をめぐる――思想としての性
  筆者自身のためのモノローグ②
  「うまく作られた不幸」に関する考察
  時間・劇中劇の問題点   メタモルフォーゼ・小説の手法
  ブルーノ・タウト   小説の魅力
  筆者自身のためのモノローグ③
  ある空想・中村真一郎研究について   思想としての「性」
 3 『四季』の意味――回帰する青春
  小説の失権時代   続・小説の失権時代
  老年という文学の主題   全体小説としての『四季』
  回帰する青春   筆者自身のためのモノローグ④
  記憶の迷路へ   私小説の中の青春
 あとがき
【解題】
 中村真一郎という作家は、近代日本文学史上最も批評しにくい作家であるとは誰もが認めざるを得ないことだろう。何より作家自身、古今東西の小説や詩歌に限らず哲学・芸術・文化に精通していて、なおかつ審美眼を具えた本当の意味での知識人であり、超一流の批評家だからである。
「一人の批評家が生涯かかって成し遂げ得るような仕事を、その第一の創造である小説を書きながら果して来ている」(Ⅲ―1)のであり、加えて自作についても、生半可な批評家ではとても太刀打ちできないような解説者となっている。文壇内・読書界の一部での中村真一郎への冷遇は、この作家に対するおそらく屈折した心理が働いていると思われる。
 そういうことを別にしても、小川和佑先生にとっては師である。論じがたいのは言うまでもない。だが、それは単に師だからという理由だけではない。それは最終章を読めば分かる。しかし、最終的な先生の「十七歳から始まる三十数年に渉った長い中村真一郎体験の到達」 (Ⅲ―3)点の如何にかかわらず、『恋の泉』『雲のゆき来』の作品論は(私が言うのは僭越だが)秀逸である。
 特筆すべきは、全篇を通じて先生の現代文学への状況論的な批判とヴィジョンが語られていることである。個人的なことになるが、本書あたりからようやく先生の新著をリアルタイムに読めるようになった私としては、この点が実にスリリングであった。
 本書刊行直前(昭和五八年八月)に行われた記念すべき第一回目の小川ゼミ合宿では、まさに「現代に文学の復権はあるか」というテーマを論じ合っていたのだった。私にとって、以後の先生の著作と大学での講義の関係は、本にすでに書かれてあることを授業で聞くのではなく、授業で聞いていたことが次の本ではこのように書かれている、ということが如実に分かるということになり、批評はおろか論文を書かない大学教授が増えている中、自分も文学の創造や批評の〈現場〉に立ち会っているというような、「生な文学」に触れているという実感が持て、たいへん貴重な体験となった。これは昨今の大学教育・機構の中では、特筆されていいことである。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
この記事のURL | 1980年代の著書 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『伊東静雄論考』
2017/07/13(Thu)
【書名】伊東静雄論考
【発行日】昭和五八(一九八三)年三月二五日
【発行所】叢文社
【体裁】A5判上製、丸背厚表紙、嚥脂クロース装、貼函入り、帯付。口絵アート紙二頁(昭和10年頃の詩人の肖像/セノオ楽譜281番、竹下夢二装画、リヒャルト・シュトラウス『モルゲン』の表紙と譜面)。造本・梯耕治。
【頁数】「あとがき」まで三五五頁。初出一覧一頁。引用詩索引一頁。
【定価】三七〇〇円
【目次・内容・初出】
伊東静雄論
 序章 新しき古典として――静雄頌
 1 詩人の生い立ち
 2 青春、あるいは詩人の出発
 3 創造者への自覚
 4 わがひとに与ふる哀歌
 5 日本浪曼派と伊東静雄
 6 八月の石にすがりて
 7 わが家はいよいよ小さく
 8 雲雀の歌
     〈初出:一九八〇年七月(四月と誤記) 『伊東静雄 孤高の抒情詩人』講談社現代新書〉
伊東静雄論 補記
 1 「わがひとに与ふる哀歌」の新貸料
      ――夢二装画「モルゲン楽譜」をめぐる――
     〈初出:一九八二年七月 「昭和文学研究」第五号〉
 2 伊東静雄と三島由紀夫――その邂逅と訣別
     〈初出:一九七二年十月 「現代詩手帖」十月号 思潮社〉
     (原題「詩の訣れ――三島由紀夫少年詩篇」)
 3 雲雀の記憶
     〈初出:一九七三年十一月 『伊東静雄論』五月書房〉
伊東静雄書誌研究
 1 伊東静雄論の形成
    詩人研究の現在  詩人研究の指針  全集・資料等について
    詩人研究の問題点  詩人論・作品論  作品研究の課題と展望
    主知主義文学と静雄詩の問題  「哀歌」の周辺
    『詩集夏花』以後の詩集について
     〈初出:一九七三年十一月 『伊東静雄論』五月書房〉
     (右所収稿を基に書き下ろし)
 2 伊東静雄書誌一覧・解題
     〈初出:一九七三年十一月 『伊東静雄論』五月書房〉
     (右所収稿に増補訂正を加えた新稿)
 3 研究文献目録・総覧
     〈初出:一九七九年八月 『現代詩読本⑩伊東静雄』思潮社〉
     (右所収稿に増補訂正を加えた新稿)
 4 伊東静雄年表――付同時代史
     〈初出:一九七三年十一月 『伊東静雄論』五月書房〉
     (右所収稿に増補訂正を加えた新稿)
 5 「コギト」「日本浪曼派」年表
     〈初出:一九七七年三月 『立原道造研究』文京書房〉
あとがき
初出一覧
(引用詩の)索引
小川和佑著『伊東静雄論考』函
【解題】
 先生の伊東静雄論、書誌研究の集大成決定版。講談社現代新書版『伊東静雄 孤高の抒情詩人』を第一部に、その後発見された新貸料による「わがひとに与ふる哀歌」論を加え、五月書房版「伊東静雄論」から重要と思われる二篇の論考を再録し、同書所載の研究貸料を基に新たに書き下ろされた増補改訂版書誌研究を併せた大作である。

【「あとがき」より】
 一九八〇年の夏。長い課題だった書き下ろし詩人論『伊東静雄』を講談社現代新書の一冊として刊行することができた。思えば筆者の人生の三分の二以上の時間はこの浪曼詩人の詩的衝撃に憑かれていたといってよい。あの一九四五年の初夏。一冊のアンソロジーで「水中花」と「八月の石にすがりて」を読んだ。その詩的感動はそれまでに読んだどんな詩篇よりも異様にと呼んでよいくらい苛烈であった。その衝撃は極めて危険に満ちた美しさだった。あの退廃し崩壊寸前だった時代にあって、これらの詩は自己の強制される不条理な死さえも、享受することができるといった内的衝迫さえ伴ったのであった。
(中略)
 伊東静雄への長い道程は筆者にあっては負の起点から第一歩を踏み出したといってよい。その着手は先ず、同時代からのこの詩人を語る膨大な、そして散逸しかかった研究文献の渉猟から始った。つまり、静雄詩が如何に読まれたかを通じて、十代の半ば苛烈な一撃を与えたこの詩人の実像を知ろうとしたからである。その詩的享受としての静雄詩の読まれ方はそのまま、昭和という時代の知識人たちの精神的軌跡を形成していた。(後略)
     ――一九八三年 早春


☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
この記事のURL | 1980年代の著書 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『立原道造 忘れがたみ』(旺文社文庫版)
2017/06/22(Thu)
【書名】立原道造 忘れがたみ
【シリーズ名】旺文社文庫 200―1
【発行日】昭和五八(一九八三)年三月二五日
【発行所】旺文社
【体裁】文庫版、カバー装。カラー口絵(アート紙)四頁。カバーと口絵のカラー写真・佐藤英世。立原道造のカット・写真・図版・文学散歩地図など多数収録。
【頁数】二六七四頁
【定価】三六〇円
【目次・内容】
 PROLOGUE―美しい明日は……
 浅き春に寄せて
Ⅰ 風立ちぬ――昭和十三年五月―九月・信濃追分
  萱草の昼に
  愛する
  草に寝て
  ひとり林に……
  また昼に
  夕映えの中に
  夜を詠める歌
  野花に捧ぐ
 間奏曲――オルフェのソネット・昭和十三年九月
  オルフェのソネット
Ⅱ 林檎実る頃――昭和十三年九月―十月・盛岡
  北へ……
  林檎実る頃
  雨の言葉
  ランプよおまえのために
 間奏曲――風信子・昭和十三年十月―十一月
  夕映えばかりをのこして……
  旅人の夜の歌
Ⅲ 昨日よりも美しく……昭和十三年十一月―十二月・長崎
  わがまどろみは覚めがちに
  歌ひとつ
  何処へ?
  昨日よりも美しく……
  天の誘い
  旅のおわり
  傷ついて、小さい獣のように
 EPILOGUE―忘れがたみ
  忘れがたみ
  風に寄せて
 年譜
 解説――文庫版の読者のために(昭和五十八年二月)
【解題】
 基本的には初版単行本(文京書房・昭和五〇年三月刊)を文庫化したものであるが、「新たに数かずの資料や写真を入れて、文庫本の新しいタイプを試みた。それはそのまま、『立原道造文学ツアー』の手引きともなり得るだろう」(「解説」)という仕上がりになっている。初版の単行本も捨て難いが、確かにこれは文庫版というスタイルの方が似合っているかもしれない。
 個人的なことを書くことを許していただくなら、この本は私が明大に入学した年(それもちょうど合格を確認し、希望を抱いて入学の手続きをしている頃)に刊行されたもので、実際に手に入れて熱に浮かされるようにして読むのはその二年後だが、四年次の「詩歌研究」のテキストに使われたこともあり、たいへん思い出深い一冊である。
 四年生の春(昭和六一年四月の終わり)、小川ゼミ初の軽井沢合宿の予約を取るために、この本と『堀辰雄 その愛と死』を携えて、信濃追分の油屋旅館に直談判に行ったのだった。奥付の余白に「昭和60年2月16日 三省堂にて購入」と書いてある。二冊とも、その二年後の昭和六二年に廃刊になった旺文社文庫。社会思想社の現代教養文庫とともにほかの大手出版社の文庫にない、ちょっと毛色の変わった良書が揃っていたので残念でした。当時は新刊書の棚から買ったのでした。この二冊はぜひとも復刊してもらいたいものです。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
この記事のURL | 1980年代の著書 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ