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『小説構造の解析』
2020/01/21(Tue)
【書名】小説構造の解析
【発行日】平成二年(一九九〇)五月
【発行所】丘書房
【体裁】
【頁数】・・・頁
【定価】・・・・円
【国際標準図書番号】ISBN4-87141-...-.
【目次・内容】
【解題】
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『立原道造詩集』
2019/09/02(Mon)
【書名】立原道造詩集
【発行日】平成元年(一九八九)六月二〇日
【発行所】明治書院
【体裁】A5判上製、丸背ベージュ厚表紙、パラフィン紙巻き、機械函入り。函および本体中表紙の小さなカットは立原道造画「りんだうの花」。口絵アート紙一枚(モノクロ二頁。表・昭和一三年立原近影、銀座ニュートーキョーにて近藤武夫撮影。裏上・「のちのおもひに」自筆詩稿、裏下・昭和一三年六月五日水戸部アサイとの旅行メモ)
【頁数】二七一頁
【定価】二五二四円
【国際標準図書番号】ISBN4-625-46040-9
【目次・内容】
 凡例
立原道造論――その詩集と詩編の位相
 Ⅰ 詩集『萱草に寄す』
    詩の時間構成――詩集『萱草に寄す』の場合
    詩の演技としての十四行詩
 Ⅱ 詩集『暁と夕の詩』
    『暁と夕の詩』の成立
    〈物語詩〉集成としての詩集『暁と夕の詩』
    『暁と夕の詩』から『優しき歌』へ
 Ⅲ 詩集『優しき歌』
    『優しき歌』とその成立   心理ドラマとしての十四行詩
    詩における時間軸      立原道造の詩・再評価
 Ⅳ 未刊詩篇
    未刊詩篇の位相     異界の発見――信濃追分
    道造詩の中の「風」   ミュラー『冬の旅』と十四行詩
 Ⅴ 物語
    立原道造の散文作品   連作物語集『鮎の歌』
    「物語」の反小説的手法
 Ⅵ 昭和十三年・書簡集――水戸部アサイ宛
  [注]
 
詩集 萱草に寄す
詩集 暁と夕の詩
詩集 優しき歌
未刊詩編
  村ぐらし(ほか、組詩を一編と数えて計五三編)
物語
  Ⅰ 水晶の籠
  Ⅱ つめたい雨の昼のわかれ
  Ⅲ 月のめえるへん
  Ⅳ 夏になる時
昭和十三年・書簡集――水戸部アサイ宛
 
補注
主要研究文献目録
立原道造年譜
【解題】
 立原道造詩集というのだから著者はもちろん立原道造で、小川和佑先生はその編者というわけであるが、本書はほとんど『立原道造詩集』という名の小川和佑の著書と言っても差し支えないであろう。
 メインは言うまでもなく立原道造の三つの詩集と、雑誌発表のまま未刊行の詩編五三編、それから物語から四編、そして水戸部アサイ嬢への書簡十五通であるが、何よりも圧巻なのはその全編にわたる注釈で、巻頭の「立原道造論」と補注(「補注」というよりそれだけで一つの論文に匹敵)を併せると、本文よりもはるかに分量が多いのである。さらに詳細を極めた主要研究文献目録と年譜が付されていて、これを労作と言わずしてなんと呼ぼうか。
 満二十四歳八か月という若さで亡くなった詩人ではあるが、驚くほどの数の論評がある。しかし、一編一編の作品に対して、細かい基本的な語釈を踏まえた注釈書というのは他に類を見ない。
 さらに私たち小川ゼミ生にとっては、そうした文学研究の方法とそのプロセスをまだ本になる前から教室で示してくれた先生。大学のほかの授業ではなかなか味わえない貴重な体験を私たちに与えてくれた。それが小川ゼミの醍醐味であった。
 なお本書は立原道造没後五十年に刊行された。書籍の表題も奥付のクレジットも「編者 小川和佑」であるが、奥付のタイトルには括弧付の『立原道造詩集』と記載されている。つまり、最初に述べたように本書は『立原道造詩集』という名の小川和佑著作による書物といっても過言ではないことを意味している(と思われる)。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
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『立原道造 詩の演技者』
2019/09/01(Sun)
【書名】立原道造 詩の演技者
【発行日】昭和六三年(一九八八)二月二八日
【発行所】林道舎
【体裁】A5判やや細長上製、白地光沢カバー装。限定五〇〇部、シリアル番号入り。
【頁数】・・・頁
【定価】・・・・円
【国際標準図書番号】ISBN4-87141-...-.
【目次・内容】
【解題】
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『詩の状況・詩の現在――現代詩はいかにして読まれたか――』
2019/08/29(Thu)
【書名】詩の状況・詩の現在――現代詩はいかにして読まれたか――
【発行日】昭和六二年(一九八七)四月一〇日
【発行所】丘書房
【体裁】B6判ソフトカバ―、白地厚紙カバー装、帯付。
【頁数】一八七頁
【定価】二〇〇〇円
【国際標準図書番号】ISBN4-87141-030-7
【目次・内容】
一九七〇年から八〇年代へ
  不毛の豊饒という時代に――再び現代の詩に問う
  妖精たちはどこへいったか
  「幼年回想」という主題――四十歳の周辺   仮想の幼年者
文学の氷河期の中で
  滝本明の詩と日常    豊饒の時代に――家庭の喪失
  新中間層の家庭形態   小町伝説――読者の高齢化
詩と散文のあいだ
  自己達成と崩壊   「詩人の家族」の世界
  歴史の影絵としての『荷馬車のある風景』
  遡行する時間・甲州『市之蔵村』の世界
文学主題の変質と現代の教養
  文学主題としての「桜」   さくらの詩的映像
さくらの詩、内なる鎖国
  続・文学主題としての「桜」   内なる鎖国を考える
「参加の文学」への考察と批評
  視界ゼロの現代の詩   詩誌、その詩集評は機能しているか
  「参加の文学」への考察と批評   芦原修二の文学的試行『短説』
詩的感性をめぐる「性」
  日常的感性による「性」と性意識
  詩的感性をめぐる性とその周辺   詩篇「失楽園」と問題提起
高齢化社会と現代詩の危機
  青年たちのいない詩壇
  意識の中に忍び込む「老」――自覚せざるもの  残光の中の青春
存在と非在の間で考える
  詩は日常語になり得るか
  寺門仁『華魁』と白川淑『祇園ばやし』
  存在の中の非在としての『祇園ばやし』
  透視する眼線の高さの詩
現代語の過渡期のなかで
  現代語が変る……   詩のことば、その創造力
鮎川信夫はいかに読まれたか
  鮎川信夫と現代の詩   「小さいマリの歌」
  同人雑誌の変質――詩の再生のために
現代詩はいかに読まれたか
  八〇年代の詩と思想   映像メディア時代の詩
  詩の復権のために
あとがき
参考資料一覧(初出)
【解題】
 詩誌『詩学』の昭和六一年(一九八六)一月号から翌六二年一月号まで連載された長編の現代詩論で、たいへん刺激的な評論である。帯の言葉をそのまま転載する。
「詩はいま、はたして読まれているか。80年代の文学の危機の中で詩集と詩誌から多元的重層的に、詩の現在をその深層から熱い言葉で問う、最新長編評論」
 同じく『詩学』の昭和四六年(一九七一)八月号から四七年五月号にかけて連載された「現代女流詩人論」をまとめた『詩の妖精たちはいま』(昭和四七年一〇月・潮出版社刊)は、当時たいへんな反響があったようなのだが、これはいわばその続編に当たり、その十五年後の「リポート」である。
 個人的なことを記すと、本稿連載中、私は大学三年から四年在学中で、前年の「文学研究(演習)」で小川先生と一緒にこれらの同人詩誌を読んでいたのである。そして「参加」しようとしていたのだった。就中、「芦原修二の文学的試行『短説』」という項目があるが、芦原修二氏が「短説の会起案書」を発送し、その第一回目の「座会」が神田神保町で行われたのが昭和六〇年(一九八五)九月である。この第一回短説座会に小川ゼミの二年先輩・五十嵐正人さんが出席していて、その紹介で私は三回目から、五十嵐さんと同年で当時ゼミに参加していた向山葉子さんが翌年一月の第五回から参加している。まだ短説の草創期で、季刊の『短説』誌が二冊出ただけの頃である。一九六〇年代の『秘夢』、七〇年代の『海とユリ』の時代から芦原修二を高く評価していたこともあるが、まだ海のものとも山のものとも分からない短説をいち早く論じていたのである。これは興奮する出来事であった。
 なお、本書は(こう言っては申し訳ないが)弱小出版社から出たもので、おそらく当時市販されはじめたばかりのワードプロセッサで元の『詩学』掲載の原稿を書き起こしたものであろう。しかも技術者であっても、詩や同人誌の読者ではない者の手による。そのため誤植が多く、引用詩のレイアウトに疑問がある箇所もある。ただそれだけでなく、著者の誤謬による箇所もある。特に前記「芦原修二の文学的試行『短説』」の項は、別途「小川和佑先生の言葉」として訂正版を作成したいと思う。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
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俗語を正す――㊿この一冊の終りに
2019/07/07(Sun)
 この新しい文章論の一冊は、若い企業人たちやこれから就職しようとする学生たちのために書き下ろされたものである。
 リポートが書けない。論文の書き方が分らないという声を教室でもしばしば聞くようになってずいぶん長いことになる。ここ数年、そういう学生たちの要望に応えて、リポートを課する場合、なにを書くか、どう書くかを例文を引用しながら教室で講義してきた。
 そのかたわら講談社フェーマススクールズの「小説講座」にも出講し、小説の入門から個々の作品指導まで、ここでもどう書くか、なにを書くかを中心に講義してきた。その間にさまざまなことを発見し、意外な思いにうたれることも多かった。思っても見ないところに学生や受講生たちの文章表現についての落し穴があったり、当然分っているだろうと思う既定の事項が、案外知られていなかったりすることもあった。
 文章論・文章表現と向きあって来たここ数年のこの実践的な体験は私自身の文章表現についても多くを考えさせられることとなった。
 そういうおりに、経林書房編集部の要請で、本著を書き下ろすことになったとき、ここ数年の文章表現の講義で得た実感を充分に生かして、新しい文章表現力を開発できる一冊にしたい強い意欲が湧いた。
 いままでの長い執筆生活の中で六十冊余の著書があるが、こうした実践的な方法と技術をテーマにした実用書は、大学の教科目でいう「国語教育法」の領域以外での分野では、これが初めてのもであった。
 そこで「文章論」に関する最近の、この種の類書を可能な限りに読み、考えノートに整理し、実践体験とその方法をひとつひとつ検証しながら、この一冊を構想した。もちろん、その執筆に当っては、本文で述べてような論理と方法とによって書き進めた。
 ここでそれを解説的に補足するならば「Ⅰ章」から「Ⅳ章」までが、文章表現の基礎技術篇ともいうべき章で、「Ⅴ章」から「Ⅹ章」までをその実践篇として構成した。各章の例文は一読して、本文と識分できるように全て枠組みにし、その項目やテーマに必要な予備知識・情報・留意点などについては短い解説も入れた。
 それでいて、この一冊の実用上の有効性を丸ごと一冊の書物としても読めるものにした。読者は必要事項に応じてどのページから読み始めてもよいし、最初のページから順に読んでいってもよい。
 いま日本語の文章表現は、経済水準の向上に反して、限りなく貧困に向って崩壊しかかっている。ここではそういう日常の文章表現の現状から、もう一度、ことばの活性を伸びやかな豊かなものに回復させる意図のもとに何が必要かを説いた。
 芭蕉のことばではないが「俗語を正す」という意味がいまほど重い時代はあるまい。
 時代はハードからソフトへの転換期であるワープロの開発が進み、文章表現は表記そのものに新しい革命期を迎えようとしている。それであるからこそ、現代の日本文はより豊かに美しい表現が求められるべきであろう。この一冊がそのための読者の好伴侶として読まれて欲しいものである。
 
 一九八五年六月
 
    ――小川和佑『「書く。」実践文章入門』
       (昭和六〇年六月・経林書房刊)
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『「書く。」実践文章入門』
2019/03/23(Sat)
【書名】「書く。」実践文章入門
【発行日】昭和六〇(一九八五)年六月二五日
【発行所】経林書房
【体裁】四六判ソフトカバ―、コート紙カバー付。
【頁数】二三八頁
【定価】一二〇〇円
【国際標準図書番号】ISBN4-7673-0232-2
【目次・内容】
 はじめに――国語が書けない?
Ⅰ 文章入門の基礎知識――どうすれば書けるか
 1 いかに書くか、どう書くか ――①どう書けばいい?
    教養としての『源氏物語』の意味
 2 記号を有機化する     ――②ことばは生きもの
    『豊饒の海』
 3 ちょっと難しい話     ――③文章能力と国語教育
    『学習指導要領』――「国語表現」の指導内容
 4 文章の技術        ――④わずかな配慮でこう変る
 5 文体・その三つの型    ――⑤覚えて置きたい三つの文体
 6 ではどういう文体で書くか ――⑥実用文の文体は?
Ⅱ 文章表現・その条件と対策――文章を書くまでのプロセス
 1 原稿用紙から文章は生まれる――⑦表現の素材・原稿用紙
    原稿用紙の豆知識
 2 原稿用紙の使い方(Ⅰ)  ――⑧文章の表情を作る
 3 原稿用紙の使い方(Ⅱ)  ――⑨条件を生かす文章技術
    原稿用紙の「べからず」集
 4 文章の秘密        ――⑩句読点が文章の決め手
 5 筆記具と照明       ――⑪条件は自分で作りあげる
    文章論の盲点
Ⅲ 何を書くか、どう書くか――文章は読者の対話から
 1 何を書くかに答えて   ――⑫まず読者があって
    管理職者へのメッセージ
 2 集中力をつける     ――⑬全部わかってから書き始める
 3 短い文章からはじめる  ――⑭実用文は短い文章で
    文章知識ガイド
 4 段落・構成を考える   ――⑮文章は組み立てるもの
 5 長い文は読みにくい   ――⑯センテンスはシンプルに
 6 句読点のつけ方原則
Ⅳ 魅きつけるリポートを書く――魅力ある表現への出発
 1 イメージを広げる書き方  ――⑰迫力ある文章を書く
 2 ひとつのイメージから物語を――⑱やわらかな心を持つ
 3 リポートの実際      ――⑲書きだしと結び
 4 コラムを書く技法     ――⑳一〇〇〇字の表現
 5 気になる文章       ――㉑悪文見本帖
Ⅴ 公用文・通信文を書く――伝達としての文章
 1 依頼文・案内状のさまざま  ――㉒公用文見本帖
    祝辞・弔辞について
 2 公用文の技術        ――㉓名文集ファイルを作れ
 3 通信文の基本型       ――㉔敬語を使いこなせ
 4 前文の書き方と敬語法    ――㉕歳事記を使って
    通信文の書き方
 5 ダイレクトメールの文章を読む――㉖ビジネス最前線の文章
    敬語の誤用例
Ⅵ 議事録のことばと表現――日常のなかの文章
 1 中間点での文章論     ――㉗見たままが書けない
 2 日常に使う文章      ――㉘ふと気が緩むと
    辞書の勧め
 3 会議記録文のまとめ方   ――㉙事実だけで書く文章
 4 業務日報の要領      ――㉚要点を抑えて簡潔に
    横書きの文章表現の注意
Ⅶ どう書くか表現技術の公開――一篇が完成するまで
 1 二枚半で書く書評の技法  ――㉛短文の技術は
 2 無から作る――㉜本に魅入られて……
 3 四百枚が書ける(Ⅰ)   ――㉝いかに書いたかの技術公開
 4 四百枚が書ける(Ⅱ)   ――㉞全体像を製図した
 5 四百枚の技術の応用    ――㉟論文・リポートの設計図
Ⅷ 取材から文章にするまで――歩いて書くことの技術
 1 どこに目的があるか     ――㊱焦点を定める
    水の神・滝蔵神社
 2 取材に当っての準備     ――㊲失敗しない取材のために
 3 新しい「聞く」読者が現われた――㊳見る・書くの知の運動
 4 取材後の整理から文章まで  ――㊴どうまとめるか取材メモ
    て、に、を、は、が大切
Ⅸ 人間像を書くために――その描写の方法と技術
 1 難しさはどこにあるか    ――㊵写真にひきずられるな
 2 司馬遼太郎のうまさ     ――㊶人物描写のポイントは
 3 性格をこう書いた      ――㊷私の人間描写法
 4 二百字で書く人間像     ――㊸推敲と添削の実例
 5 短い十人の作家の肖像    ――㊹短い方が難しい
    続・て、に、を、は、が大切
Ⅹ 座談会の文章のまとめ方――話しことばを文章にする
 1 話しことばを文章にする   ――㊺最初に設営のことから
 2 話しことばを文章にする   ――㊻発言者側からの準備
 3 文章も編集する       ――㊼削除と要約
 4 直木賞作家・有明夏夫を語って――㊽文章編集の技法
 5 文章表現への出発      ――㊾文章と個性
   俗語を正す         ――㊿この一冊の終りに
【解題】
 この一冊はもう自分ひとりだけの虎の巻として秘蔵したいぐらいだ。巻末の「俗語を正す」を全文転載する。これ以上の解題はないであろう。ここに出てくる当時の大学生がまさに私たちである。二学年上の五十嵐正人さん、生江道子さん、野本達哉さん、同学年の北島義浩さんの三島由紀夫を論じた論文が〈良い方〉の見本として取り上げられている。それらが提出されたのは昭和五九年度の授業(演習)で、特に後期のものは昭和六〇年の一月末から二月のはじめであるから、小川和佑先生がいかに速筆であるかがわかる。本として出版されたのはそれからわずか四か月後である。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
 
【俗語を正す――㊿この一冊の終りに】(※次項参照)
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ごあいさつ
2019/03/01(Fri)
 このブログは、文芸評論家で近現代文学研究者である小川和佑先生の著書の詳細データを公開するものであります。年代順に編集しているため、更新がゆるやかで恐縮です。
 カテゴリの「小川和佑先生の言葉」では、特に重要と思われる言説を、その著作から抜粋・転載しています。
 
     編集責任者:小川和佑ゼミナールOB会事務局長・西山正義
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わが一九四五年――5 問うべき戦後とはなにか(3・4)
2018/09/05(Wed)
 わが一九四五年
 
 5 問うべき戦後とはなにか
     ――持続すべきもの
 
    3
 
 ……  ……  ……
 あの六八年、六九年。全国の学生たちを熱狂に巻き込んでいったあの苛烈な情感は、単なるイデオロギーの論理だけではあるまい。
 彼らは仮令、形骸化していたといっても、戦後民主主義による教育課程を経て来ている。どのような保守的な、また革新的な教師が教えようとも、その使用した十二年間の教科書は、民主主義の原則に貫かれている。――例えば、「現代国語」における丸山真男のエッセイ「であることとすること」一篇を対象にしても、あの政治の季節における行動の原理が、論理化されている。勿論、その教科書は文部省の検定済のものである。 ……  ……  ……
 このようにして、義務教育、中等教育の過程で戦後民主主義を精神の核として形成されて来た青年たちにとって、その精神的核となった原理は、現実において無価値に等しいと解った時に、彼らははじめてもう一度、彼らの精神を形成しようとした原則によって、現実を変革しようとする強烈な意思を自覚する。あの六八年、六九年の一季節が、こうした精神と行動の所産ではなかったろうか。
「帰ろう愛の天使たち(※)」の四城亜儀も、この戦後民主主義の精神に生きた一人の無名者である。四城亜儀が、彼に与えられ、彼の精神を形成したものすべてが、解体してもなお、彼は青年としてなおも愛に賭けようとする。退廃と破滅急傾斜しながら、なおも最後の真実を放棄することの出来なかった青年像に「雪の巣」の角達也、宮野尾文平、松永龍樹、「雲の翳り」の定本和雄、福田啓一とそれぞれの時代を生きながら、それらの青春群像はあの一九四五年八月十五日を原点とする、歴史を共有する青春を見ることが出来る。
 
※四城亜儀(男性とも女性とも分からないような不思議な名前で、筆名であると同時に、「僕」という作中の主人公の名前でもあり、そして彼は男性という設定なのだが、実際の作者は女性である)の小説「帰ろう愛の天使たち」の表記は、本書中で「帰ろう愛の天使達」と混在している。後年、二一世紀になってからの作者本人と思われるブログでも表記が混在していて、どちらがオリジナルなのか不明である。初出の『風群』第一五号(昭和四七年四月)はどちらであろうか。
 副題「――または無音のシラブルの意志について」
 同時期の文芸同人誌『海とユリ』に発表の別の作品では筆名も四城ひかる、四城亜儀、四城智貴と作品によって使い分けられている。
 なお、四城亜儀氏は昭和二三年(一九四八)大阪生まれで、平成三〇年(二〇一八)三月一七日以前(のおそらくその少し前)に他界されたが、Bruxellesのハンドルネームで「PLANETE BARBARA」というホームページを中心にいくつものブログを複合させたウェブサイトが死後も(おそらく遺族によって意図的に)残されている。

 
    4
 
 戦後三十年という歴史において、あの学園闘争が単なるイデオロギーによる変革の意志による単純な学生一揆という把握の仕方は粗雑である。暴力と破壊による反社会行為と批判し、否定した八・一五以前の世代の発言、殊に一九二〇年代生まれの知的領域に携わっていない無名者大衆の学生青年層に向けられた憎悪と批判に対して、あの時代の彼らは、その無名者大衆が当面している敵よりも、さらに怖ろしい存在だと気づいていたであろうか。
 無名者が無名者を憎悪し批判する過程で、戦後は衰死を遂げることによって完全に終焉せねばならなかった。いま、しかしといおう。では二〇年代生まれの無名者大衆が正義であり、学生青年層が、血で汚れているといい得るのか。さらに正義とはなにか。おそらく二十年代の無名者大衆はこの問いに答えぬであろう。なぜならば、彼らの発言は無名者なるがゆえに発せられ、無名者なるがゆえに責任は問われない。
 既にあの一季節は時間の彼方に流出した。すべては変らなかったままに、次の青年たちが、新しく大学のキャンパスを埋め、街を埋める。現代史にあの季節が歴史として正確に記録されるには、まだ長い時間を要するだろう。
 そして、一九四五年を原点とするものの一到達点として、われわれは重く暗い伊吹比呂志の連作短篇集『イルクーツクにて』(昭和47・8、深夜叢書)の一章「暗い春の終りに」を読まねばならない。
 この五〇〇部限定版の『イルクーツクにて』は多くの読者眼には触れなかったであろう。巨大化した情報産業の生産品である今日の刊行物の中で、五〇〇部という数は、無に等しい。 ……  ……  ……
 しかし、私に即していえば、多くの書評家の批判を浴びようとも、「暗い春の終りに」は、遅れて来た戦後文学、もしくは戦後文学の最終的作品としての位相を保有していると断言したい。例えば、この作品の直線上に梅崎春生の「日の果て」があり、椎名麟三の「重き流れの中に」があるといえないだろうか。伊吹比呂志の提起した文学的主題は戦後というものの現実をもう一度、一九七〇年代の読者に改めて示されたものではなかったか。
 知的領域に携わらない一九二〇年代生まれの無名者大衆と、戦後を生きた無名者青年との対立と抗争とが、この作品の北見年男とその父との父子像に集約されている。
 ……  ……  ……
 四城の長編『帰ろう愛の天使たち』の構成と手法が大胆で前衛的な知的冒険であり、それゆえに既成の小説にない新鮮な感性の所産であったとすれば、「暗い春の終りに」は、その逆な意味での戦後文学の正統性を主張し得る現実性がある。しかし、この二作をいま併読すると、それにもかかわらず、そこに自己の青春に深い関わりを持ち、その後の人生を決定的にした歴史に携わったものの証言という点で、同時代の他の作品にない文学的感動がある。 ……  ……  …… いま風俗としても痕跡を止めぬまでに風化したあの時代の急速な解体の意味を、改めて「帰ろう愛の天使たち」「暗い春の終りに」によって再検討することは決して無意味ではあるまい。
 その時、六〇年代、七〇年代の作家の文学の営為がどのようなものであったかが、この二作の対極に考察されるであろう。
「問うべき戦後とはなにか」という命題はこの時。、内なる声として、設定されるであろう。おそらく四城や伊吹たちの青春に対して、彼らがなにものをも見ていなかったということはあるまい。
                                      (了)
 
     ――小川和佑・編『わが一九四五年 ――青春の記録1』
        昭和五〇年(一九七五)九月三〇日初版第一刷発行
        (現代教養文庫八六三・社会思想社刊)

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わが一九四五年――5 問うべき戦後とはなにか(1・2)
2018/08/29(Wed)
 わが一九四五年
 
 5 問うべき戦後とはなにか
     ――持続すべきもの
 
    1
 
 西武新宿駅から国電新宿駅へ、私は毎週国電の車窓からこの風景を繰り返しあれからずっと見続けて来た。
 その風景はあの六八年の十月とどこも変っていないように見える。なんの変哲もない環状線の風景である。この風景は晴れた日でも淡灰色に見えるのだ。私は国電の吊革に私を支え、振動のなかでいつも黙ってこの風景を見る。どこも変ってはいない。しかし、決定的にすべてが変っている。――そうだ、すべてがだ。
 あの年の夏の終りから秋にかけて、新宿駅西口広場――とその頃は呼ばれていた――には、夕刻とともに多くの若者が集って来た。彼らは若かった。大きすぎた希望を抱いていた。彼らは歌い、彼らは絶唱した。なにをだ。それは問うべき戦後ではなかったか。
 彼らには共有の目標があった。セクト同士のキャンパス内での激しい対立抗争にもかかわらず、「新宿」という街においては、最少のという形容を冠してもいいが、彼らに共有の理想があった。
 フォーク・ゲリラ。それは六〇年代末の新宿の新風俗でありながら、同時に敗戦後の青空の季節と同質の理想を内包していた。
 私はそこで、幻聴のように昔の古い詩を聴いたように思う。

  ……  ……  ……
  ……  ……  ……
目ざめた細い道の上に
拡げられた街路の上に
溢れひろがる広場の上に
ぼくは書く きみの名前を
  ……  ……  ……
  ……  ……  ……
そしてひとつのことばの力で
ぼくはまたこの人生を歩みはじめる
ぼくは生まれた きみを知るために
きみの名前を呼ぶために
 
自由よ。
     ――エリュアール「自由」嶋岡晨訳


 海鳴りの底から湧きあがる声に、私は遥かになった青春を思った。それは一九四五年八・一五に始まる戦後という季節の最後の輝きだった。この新風俗は、風俗が決して持つことのない危機意識に支えられていた。
 それをこの新宿に蝟集して来る組織、未組織の無名の青年たちの共同幻想だったなどとは敢えて言うまい。
 彼らが歌おうとしたもの、語ろうとしたものが、もしも共同幻想だったとするならば、戦後という一時代すべて共同幻想に過ぎなくなってしまうのではないだろうか。
 ……  ……  ……
 ……  ……  ……
 
    2
 
 六九年一月二十日、安田講堂封鎖解除の翌日、東大はこの年の入試中止を決定。さらに五月十八日には新宿駅西口地下広場のフォーク集会が禁止された。西口地下広場はこの日から単なる地下通路になった。
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 そして、なにが変ったか、あれから。――すべては変らなかった。荒廃と怨恨と不信だけが、青年たちの人間空間を占めたのではないか。
 
     ――小川和佑『わが一九四五年 ――青春の記録1』
        (昭和五十年九月・現代教養文庫・社会思想社刊)
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わが一九四五年――4 ヒロシマにはじまる(3・4)
2018/08/15(Wed)
 わが一九四五年
 
 4 ヒロシマにはじまる
 
     3
 
 私と同じ一九三〇年生まれの中山士朗氏の原爆体験はもっと苛烈で悲惨なものであったろう。
 短編集『消霧燈』の一冊が、いわばこの十五歳の原景から以後の人生を決定的に支配しているからこそ、中山氏は自ずから作家であることを、人生の唯一の可能性として選びとったのであろう。たとえば、その強弱の差こそあっても、あの夏を境に私たち共通の世代は、恒時的に死霊を負って生きて来た。
 それは気負いでも,衒気でも少しもなく、それが、私たちの深刻を装う仮面でもなく。
 ――であるから「荒野の原景からの出発」などという詩的修辞は皆目不要なのだ。私たち世代の出発は、どう考えても詩的などであるはずがない。
 空襲の夜以後、焼跡整理に駆り出された私たちは死臭の漂うなかで、食事をし、――それが食事と呼べるならばの話である。蒼く日毎に澄んでいこうとする夏空と積乱雲を仰いだ。無名で、無力な常民の戦争体験はひたすら一方的に日常のなかを漂流するだけである。
 八・一五から、その月末まで、学校は再び夏期休暇に入った。昭和五十年史を特集するあるグラビア雑誌の八月十五日の頁に「慟哭・悲憤・痛恨」とこの日を記してあるのだが、私はいまも一種の違和感を持って、それらの記事と回想を読む。私はいま、私たちの前に突然展開した新しい状況にどう対応すればいいのか解らなかった。ともかく、なにかが終ったという解放感だけはあった。しかし、こう書くことで、私は当時、私だけが特に愛国心に乏しかったとか、反戦的だったというのではなさそうである。
 私の周囲の少年たち仲間のほとんどが、敗戦の悲憤、痛恨という激情から遠くかけ離れた場所にいた。グラビア写真に見る皇居前広場にひれ伏して慟哭する人々の姿を私は決して偽りとは思っていないが、それは真実トータルな常民の情感だったろうか。
 その八月十五日の午後から、動員されていた工場内では、軍人、職員、徴用工の間に物資の略奪がはじまったのも真実である。
 少しでも利用価値のありそうなものは、激しい争いの末、片端から搬出されていった。証言していい。この略奪者たちは決して慟哭などしなかった。
 九月、二学期がはじまって、「一億総懺悔」という言葉が、提唱された。少年たちは、懺悔よりも、新しい時代に対応することに追われていた。 ……  ……  ……
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 教科書に墨を塗って抹消したのは、あれは十一月だったろうか。塗らせることに教師たちは別段の抵抗感はなかった。ドーテの「最後の授業」のような悲愴な場面は遂にあり得なかった。
 敗戦の現実のなかで、彼らは彼らの行為の責任の一切を、敗戦と指導層にあると考えていた。知識人としての負うべき道徳的責任を全く考えることはなかったと思う。しかし、次次と占領政策が進められていく過程で、なんども教師間に新しい衝動と波紋が起こった。考えて見れば、教師といえども生活者であった。必死に生活を支えている次元では、愛国主義、国粋主義も生活の手段であり、平和主義、民主主義もまた同様であった。――つまり、どのようなイデオロギーも生活を支える支柱であった。敗戦の翌年には、最も国粋的だった中堅教師の一人は、教組の結成とともに、その集団の戦闘的指導者と変っていた。彼は聡明なだけに時流に遅れまいと、彼なりに必死だったのであろう。しかし、これは転向ではない。転向と呼ぶからには、本来自己が明確な思想を所有しなければならない。これは単なる変節でしかない。苛酷な言い方だが、そして、そのために浴びせられる批判を敢えて甘受して言うならば、この転換の時代を生きた生活者のすべては、多かれ少なかれ変節者の汚名を免れることはあるまい。――にもかかわらず、彼らにその自覚はない。「戦後三十年」でなく、彼れの精神の軌跡は持続なしの「昭和五十年」に係わっているのは、このためである。
 そういう時代思潮の逆転換のなかで、この変節が、少年たちの精神に微妙に、鋭敏に影響しなかったはずはない。後年の教育の荒廃はこの時代で既に萌芽していた。 ……  ……  ……
 
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 私にとって、過去が美しかったことは、一度もない。ましてや、八・一五以前のあの時代に再び還ろうとは絶対に思っていない。中山氏にとっても、私にとっても、八・一五からはじまる。――中山氏にとってはヒロシマにはじまる。あの日からの連続としての、その最尖端のきょうを生きる以外に自己の生の確認はない。
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 中山氏も、私もかつて二つの時代を生きた。無名者なるがゆえに無名者の原質を見過ぎるほど見てしまっている。私たちの世代に共通する自己の内なるかたくななまでの自閉の世界を、おそらく、生涯溶解することなく所有し続けて私たちは死ぬであろう。
『消霧燈』は戦後に築かれた現在に対する痛烈な告発である。――そして、私たちは私たちのあの一九四五の夏の「蝉」の声を、いま、改めて、切実に記憶の深淵より蘇らせねばなるまい。――しかし、それを誰と語るのか。この回想に決して懐しき快感はないはずである。
 
     ――小川和佑『わが一九四五年 ――青春の記録1』
        (昭和五十年九月・現代教養文庫・社会思想社刊)
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