2017/09 ≪  2017/10 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2017/11
『わが一九四五年 ――青春の記録1』
2014/04/29(Tue)
【書名】わが一九四五年 ――青春の記録1
【発行日】昭和五〇(一九七五)年九月三〇日
【発行所】社会思想社
【シリーズ】現代教養文庫・八六三(D155)
【体裁】文庫判、カバー装(デザイン・平昌司)
【頁数】執筆者略歴・初出一覧含め二九九頁
【定価】三二〇円
【目次・内容】
  刊行にあたって(社会思想社)
 (1)一九四五年という夏――わが私的回想のなかで――
『雪の巣』原田康子
 (2)青春の運命――あひみてののちの……
『昔はものを』宮野尾文平
 (3)続、青春の運命――白鳥の歌
『従軍手帖――「学徒兵の手記」に答えて』(抄)松永龍樹
 (4)ヒロシマにはじまる
『雲の翳り』中山士郎
 (5)問うべき戦後とはなにか――持続すべきもの
『帰ろう愛の天使達 ――または無音のシラブルの意志について』四城亜儀
『暗い春の終りに』伊吹比呂志
 ●編集ノオト
  執筆者略歴・初出一覧
【解題】
 アンソロジー『青春の記録1・2・3』この三巻本を細かく解説しだしたら、それだけで論文になってしまうだろう。いや、本当はそこから糸を手繰って、小川和佑論を書くべきなのだが、それはともかく、これは、小川和佑先生を理解するには欠くことのできない著書の一つである。著書というより正確には編集本で、アンソロジーに解説を附したものであるが、著作と言っていい内容である。
 注意深く読めば、先生の〈人と思想〉はどの著作からでも窺い知ることはできるが、これほど私性をさらけ出して語られたものはほかにない。実のところ、断片的に話として聞いてはいても、われわれ教え子も先生の閲歴はあまりよく知ってはいない。殊にその少年期については。先生も黙して敢えて語らない。
 本書は、国文学者でも文芸評論家としてでもない、昭和(それも戦後)を生きた一人の市井の人間の声として語られているのだ。だからもちろん、小川先生を理解するというより、〈戦後〉という時間の中で日本人がどう生きたかということを理解することになるわけだし、それが本書の主題であるわけだが、われわれ“自称”弟子サイドから見ると、小川和佑読解の鍵を握る本と言いたくなる。もちろんそれだけではない。一九四五年八月十五日。この日を境に日本および日本人は……。

 私にとっての記憶の基底部にある原風景は恒時、夏にはじまる。
     ──『わが一九四五年』冒頭の一行


 先生十五歳の夏である。この時、〈終わった〉のではなく、〈始まった〉のであった。同じようなフレーズは、たとえば伊東静雄論などにもたびたび見受けられる。たまたま十五歳だったわけだが、その年齢も重要なのは言うまでもない。すべてはあの夏から、逆に始まったのだ。その思い(というより情念)がこの本を編集させた。
 先生のことを離れても、戦争あるいは戦時体験をテーマとしたアンソロジーは数多くあれど、これほど特異なものはない。
「昭和精神史の証言を具現するものとして編集」(第一巻「編集ノオト」)されているわけだが、何よりも、戦後三十年(書かれた時点では)というその〈戦後〉の方に重点が置かれている。
 しかも、収録された作品は、何作か名の知れた作家・詩人のものもあるが、いずれもマイナーな作品で、ほとんどは無名の、それどころか同人雑誌作家ですらなかったような人の作品もあり、「記憶の底に埋没したまま忘れ去られる危険」(同前)があるというより、それ以前に全くといっていいほど世に知られていない、もはや本書でしか読むことのできない貴重な作品が多数収録されている。
 どうしてそんなものを収録し得たか。決して先生の交際範囲から選ばれているわけではない。それらが収集された経緯もさることながら、したがって文壇の文学的評価云々とは一切関係なく、それらをこのような形で取り上げた、先生の“英断”にはやはり驚嘆せざるを得ない。
 
(個人的には、四城亜儀、矢山哲治、久坂葉子、広津里香などの諸作品に出会えたことは、このうえなく大きな文学的収穫であった。いや収穫というより、文学体験そのものだった。四城亜儀を除いて、いずれも夭折している。立原道造を愛する者は、矢山哲治も読むべきである。久坂葉子と広津里香の死は、時代もその性質も様相を異にするが、やはりいつの時代も〈明るい青春〉などないのだと思う。四城亜儀は、面識はないが実は私とは近しいところにいる人であると後に判明するのだが、本書刊行時二十六か七歳の全く無名の同人雑誌作家であった)。
 ──この項は解題を著しく逸脱することになってしまったが、最後にこの言葉を聴け。

 一時代を生きた者だけが、その生きた時代を、次の時代に、現象としてではなしに、語り得べき時代の真実として、既に歴史の時間の底辺に埋没してしまったものを、また、語らずして終った沈黙の精神の所産を、そのまま等質に残したかったのだ。
 そのためには、私は意識的に私の内部で抑圧し続けて来た私の「私性」に関わる少年期について、いわばひとつの確信に基づいて、次代の君たちに証言せねばならない。
 それは「戦後三十年」を生きて来たものの責任であろう。
     ──『わが一九四五年』(1)一九四五年という夏「2」


 因みに、この時小川和佑四十五歳。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
スポンサーサイト
この記事のURL | 編/編著/共編 | CM(0) | TB(1) | ▲ top
『無名者にとっての修羅 ――青春の記録2』
2014/04/29(Tue)
【書名】無名者にとっての修羅 ――青春の記録2
【発行日】昭和五一(一九七六)年二月一五日
【発行所】社会思想社
【シリーズ】現代教養文庫・八六四(D156)
【体裁】文庫判、カバー装(デザイン・平昌司)
【頁数】執筆者略歴・初出一覧含め二五三頁
【定価】三二〇円
【目次・内容】
  刊行にあたって(社会思想社)
 (1)日中十五年戦争にとっての正義とは何か
   記憶と映像
   ある遠い記憶の底から
   無名者にとっての修羅
『洞窟の中の満月』富士正晴
 (2)修羅に生きるものとして
   浪曼者と死をめぐって
   「照る陽の庭」
『照る陽の庭』壇一雄
 (3)知識人としての戦争体験
   日中戦争従軍
   見つめている眼の位置
『雁帰る空』生井武司
 (4)生者と死者の間
   欝金色のイメージ
   兇兇しきもの
   「黄土の記憶」
『黄土の記憶』伊藤桂一
 (5)日本人の原質――国内の日中戦争――
   一冊の書物と戦後史の欠落部分
   花岡事件とはなにか
   花岡事件の意味するもの――日本人の原質
『反乱の六月』石飛仁
 ●編集ノオト
   軍歌と郷愁
   昭和五十年・戦後三十年
  執筆者略歴・初出一覧
【解題】
※『わが一九四五年 ――青春の記録1』参照
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
この記事のURL | 編/編著/共編 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『埋没した青春 ――青春の記録3』
2014/04/29(Tue)
【書名】埋没した青春 ――青春の記録3
【発行日】昭和五一(一九七六)年四月一五日
【発行所】社会思想社
【シリーズ】現代教養文庫・八六五(D157)
【体裁】文庫判、カバー装(デザイン・平昌司)
【頁数】執筆者略歴・初出一覧含め三三一頁
【定価】三二〇円
【目次・内容】
  刊行にあたって(社会思想社)
 (1)生きる意味を問うものとして
『物語』立原道造
“FRAULEIN M.ASAI GEWIDMET”立原道造書簡集
 (2)ある青春の死
『十二月』矢山哲治
 (3)ビルマに果つ――詩人の運命
詩集『雪』高祖保
 (4)ある小妖精の死・戦後という時間の中で
『ドミノのお告げ』(原題「落ちてゆく世界」)久坂葉子
 (5)黒い祝祭――時代の終焉とともに
『Note de Vivi』広津里香
 (6)天使の時間――若い魂の記録
『冬魂――磯村冬樹遺文集』磯村冬樹
詩集『水の葬り』磯村英樹
 ●編集ノオト
  執筆者略歴・初出一覧
【解題】
※『わが一九四五年 ――青春の記録1』参照
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
この記事のURL | 編/編著/共編 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |