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『三島由紀夫少年詩』
2014/02/15(Sat)
【書名】三島由紀夫少年詩
【発行日】昭和四八(一九七三)年九月二五日
【発行所】潮出版社
【体裁】四六判上製、角背・マゼンタ色土佐壇紙装厚表紙、カバー付、貼函入り。
【頁数】二六九頁
【定価】九〇〇円
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【目次・内容】
 ことばの目覚め――出発
 神話の記録
 海のこころ
 剣と夭折
 蜃気楼の国
 神を見たか――ラディゲの死
 鎖された夢
 詩を書く少年
 抒情的エスキス
 鹿鳴館幻想
 「十五歳詩集」の周辺
 続「十五歳詩集」の周辺
 間奏曲――軽井沢
 「四季」・立原道造
 抒情詩抄・花ざかりの森
 続・抒情詩抄・花ざかりの森
 浪曼への鑽仰――蓮田善明
 英霊の声――散華の思想
 うたの別れ――Ⅰ伊東静雄
 うたの別れ――Ⅱ「文芸文化」
  あとがき
【解題】
 装幀および函・カバー・扉の装画は、三島由紀夫の『豊饒の海』を手掛けた村上芳正氏で、小川和佑先生の趣味ではないかもしれないが、先生の著作中最も華麗な造りの本である。そしてこれは、先生にとって初の書き下ろしによる長篇評論である。
 三島由紀夫――この稀代の作家を論じた書物は、純粋に文学的なものに限っても膨大な数にのぼる。しかしその中にあっても本書は、三島の少年時代の詩篇を真正面から把えたほとんど唯一といっていい評論である。
 三島由紀夫は最初詩人として出発したというのはよく知られている。が、その詩について正当に論じられることはなかった。理由はいろいろ考えられるが、一番大きな理由は、何度も言うようだが文壇の評論家の多くはやはり小説偏重で、というよりもっとはっきり言えば、詩を詩として論じられるだけの詩的体験を持っていない場合が多いからである。

 ……私は作家の死後、あえて作家を論じなかった。そして、作家が遺していった六十余篇の少年期の詩を繰り返し読み続けていた。この一冊はそのいわば「少年詩篇」というべきものとの私の対話である。
     ――「あとがき」


 詩を媒介にした魂と魂の対話。全篇通してそこに息づいているのは、評論家の冷徹な眼ではなく、何よりも詩人の眼であり、詩人の心である。ともに同時代を生き、文学を愛してやまない詩人の心。先生は、一切の夾雑物を排し、固定観念に捕らわれることなく、少年三島が残した詩篇を、一篇一篇、まずその作品そのものを読むことによって、そこから何が見えてくるかを丹念に解いていゆく。この場合も、あくまでも十代の少年詩人の心に即して。ここに、通例の作家研究・評論とは趣を異にする本書の大きな特徴がある。小川和佑という詩人でもある評論家がいたことは、三島由紀夫にとって幸運なことだったといえるだろう。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
【参考】小川和佑著『三島由紀夫少年詩』仮想文庫版解説
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『堀辰雄』
2014/02/10(Mon)
【書名】堀辰雄
【発行日】昭和四八(一九七三)年八月二〇日
【発行所】三交社
【体裁】B6判上製、丸背厚表紙、貼函入り。装本・青木一夫。
【頁数】二一九頁
【定価】九八〇円
【目次・内容】
 堀辰雄
 逸見猶吉
 伊東静雄
 立原道造
 萩原朔太郎
  あとがき
【解題】
 函には、「病中リルケの『マルテの手記』の譯本を繙いてゐたら……」ではじまる堀辰雄の『かげろふの日記』覚書を兼ねた手紙がデザインされている。

 本書は私説「わが愛する詩人の伝記」ともいうべき五人の詩人たちの評伝を収めたものである。
 この五篇の評伝は、昭和前期の時代と思潮を縦糸に、萩原朔太郎を横糸とする一冊という形になった。また、ここに取りあげた詩人たちは、いずれも魂の秘密をうたう孤独者たちでもあった。彼らの文学的所産をひとびとは抒情という名で呼んでいる。その抒情の原点を詩人像のなかに捉えたかったものがこの評伝集である。
     ――「あとがき」


 初出は以下の通り。
堀 辰雄(「第三文明」昭四八・五)
逸見猶吉(「第三文明」昭四八・一)
伊東静雄(「第三文明」昭四七・一二)
立原道造(「小説女性」昭四四・八/「葡萄」昭四六・一〇、第三一号)
萩原朔太郎(『詩神の魅惑』昭四七・一一、第三文明社刊)
 
 尚、この昭和四八年度より、昭和女子大学のほかに明治大学文学部の講師を兼任し、平成一二年度まで二十八年間務めることになる。 
☆西山蔵書
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『詩の妖精たちはいま』 
2014/02/06(Thu)
【書名】詩の妖精たちはいま
【発行日】昭和四七(一九七二)年一〇月二五日
【発行所】潮出版社
【体裁】四六判上製、丸背厚表紙、橙クロース装、カバー、透明ビニール付。装幀・山本美智代。帯に秋山虔氏の推薦文。
【頁数】二九九頁
【定価】七五〇円
【目次・内容】
 詩の妖精たちはいま
  現代の女流文学
  ことばの花垣
 文学と日常のあいだ
  堀内幸枝と「村」
  ひまわりの詩人・新川和江
  生活と詩をつなぐ高田敏子
 抒情詩のしらべ
  抒情詩の季節
  岸田衿子のソネット
  吉行理恵と立原道造
 おんなだけの世界・おんなだけの感覚
  花翳のひと・三井葉子
  武村志保のおんな心
  行動者のなかの女・高良留美子の詩
  会田千衣子・鏡のなかの花神
 愛と死・そして人生
  女流詩人と戦後文学
  滝口雅子の愛と死
  忘れられた一冊の詩集
  茨木のり子と上方的風土性
 見えるものと見えないもの
  人生と石垣りんの詩
  詩的亡命者・本吉洋子
 現在の声・遠い光
  現在の声・金井美恵子の詩
  三井ふたばこの詩と遠い光
 創造への問いに向かって
  福中都生子の「恋うた」
  密室の中の幻視者・多田智満子
  美しき祝祭・村松英子の詩
 エロスの雅歌
  生命の歓喜としての……
  性と文学と
  現代の性神・白石かずこ
  私説・富岡多恵子像
 あとがき
【解題】
「詩学」(昭四六・八月号~昭四七・五月号)に十回連載された「現代女流詩人論」をまとめたもの。但し、「単行本に収録するに当たって、その全文をあらためて補筆し、その構成も新しい想定のもとに配列した」とあとがきにある。
 冒頭、「一昨年(昭四五)、某社刊の戦後から現代に至るかなり膨大なアンソロジーの編集に携わる機会に恵まれた」というのは、先に紹介した嶋岡晨・大野順一両氏との共編で三一書房より刊行された『戦後詩大系』(全四巻)のこと。論点として重要なのは、

 ……ここでは現代詩壇という枠組をもう少し拡大して、現代の文学の一環として、現代の女流詩人の作品を対象に置き、それぞれの現代文学の今日的な課題の中で、その詩を現代文学として把えたかったのである。  ──「あとがき」


 ということで、この姿勢は、女流詩人に限らず、その後の『青春の記録』、「サンデー毎日」や「関西文学」での書評、そして十五年後の『詩の状況・詩の現在』でも一貫している。知られざるマイナー・ポエットやリトル・マガジンにも光りを当て、メジャーな文学と同一次元で論じるというのは、労ばかり多い仕事なのだが、これが先生の先生ならではの大きな仕事になっている。
 現代の女流詩人を論じたものとして、これだけまとまったものはほかにないのではないか。現代詩人論として画期的な評論であるばかりでなく、今となっては戦後から昭和四十年代後半までの貴重な歴史的証言でもある。
 それにしても、あの妖精たちはいま……、と思う。幾多の詩人はもうこの世にはなく、最も若い、この時まだ二十代前半だった金井美恵子ですら(西暦二〇〇〇年現在)五十を過ぎている。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
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『詩神の魅惑』
2014/02/01(Sat)
【書名】詩神の魅惑
【発行日】昭和四七(一九七二)年一〇月二五日
【発行所】第三文明社
【体裁】四六判上製、角背厚表紙、外函、帯付。装幀・杉田豊。
【頁数】初出一覧を含め三四五頁
【定価】九八〇円
【目次・内容】
  Ⅰ
 吉本隆明論――その抒情的原質
 三島由紀夫論(一)――唯美と詩精神
 三島由紀夫論(二)――「剣」の美学
 中村真一郎論(一)――作家の幼年
 中村真一郎論(二)――青春と時代
 井上靖の詩と小説
 吉行淳之介――『砂の上の植物群』
 大江健三郎と現代詩
  Ⅱ
 堀辰雄論(一)――堀辰雄と信濃
 堀辰雄論(二)――『かげろふの日記』覚え書き
 三好達治論――さくらの詩的映像をめぐって
 伊東静雄論(一)――「日本浪曼派」ノオト
 伊東静雄論(二)――アララギ短歌と詩人
 立原道造論(一)――風のモチーフ
 立原道造論(二)――現代文法と道造詩
 村野四郎論――故郷への回帰
  Ⅲ
 抒情と映像空間
 津村信夫論――「抒情の手」
 野村英夫論――「司祭館」
 秋谷豊論――「読書」
 安西均論――「業平忌」
  Ⅳ
 評説・萩原朔太郎
  Ⅴ
 日本象徴詩史の構想
 抒情の復興と浪曼詩人
 戦後詩史序説
 マチネ・ポエティク
  あとがき
  本書掲載論文初出誌
【解題】
 昭和四〇(一九六五)年二月「国文学」発表の「堀辰雄と信濃」から、昭和四七(一九七二)年四月「地球」発表の「抒情と映像空間」まで、足掛け八年に渡って各種の国文学研究誌、講座本に発表された論文を集めたもの。(「評説・萩原朔太郎」のみ書き下ろし)。
 元々一つひとつは独立したものだが、一冊の全体像を通じて「現代文学史論」というべきものが浮かび上がってくる構成になっている。論点は以下に写すあとがきに言い尽くされているが、批評の分野でも小説偏重に傾きがちなわが文学界にあって、これは希有なことである。詩的体験を持たない評論家には無理な注文で、先生ならでは観点。

 ……私は一時代の文学を考える場合、かねがね小説と詩とを同一の次元に置いて見ている。一時代の詩が同時代の小説とまったく別個の独立した存在として考えることが、果たして妥当だろうか、という疑問をあえて持ち続けているものである。本書に収めた論考もこの観点に拠るものである。
 そして、そこには日本近代文学の流れの中で反自然主義的な一つの文学史系譜をひそかに想定しているものである。これはもとより文学史的常識に従えば、あるいはさまざまな反論もあると思われるが、ここに収めた論考を文学史的に再構成すれば、萩原朔太郎を起点として、堀辰雄、三好達治、伊東静雄、立原道造を経て、戦後の文学、中村真一郎、三島由紀夫、吉本隆明、秋谷豊、安西均、そして大江健三郎に至るということにもなる。  ──「あとがき」


 以上は、帯の裏にもそっくりそのまま印刷されている。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
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