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『伊東静雄 孤高の抒情詩人』
2016/04/26(Tue)
【書名】伊東静雄 孤高の抒情詩人
【シリーズ名】講談社現代新書・五八五
【発行日】昭和五五(一九八〇)年七月二〇日
【発行所】講談社
【体裁】新書判
【頁数】二三七頁
【定価】三九〇円
【目次・内容】
序―新しき古典として―静雄頌
第1章―詩人の生い立ち
第2章―青春、あるいは詩人の出発
第3章―創造者への自覚
第4章―わがひとに与ふる哀歌
第5章―日本浪曼派と伊東静雄
第6章―八月の石にすがりて
第7章―わが家はいよいよ小さし
第8章―雲雀の歌
あとがき
伊東静雄年譜
参考文献 Ⅰ単行本 Ⅱ雑誌特集号
【解題】
 講談社現代新書の文学評伝シリーズの一冊として書き下ろされた詩人の評伝。伊東静雄を語ると先生は一層熱くなるようである。先生の文体は元々きびきびした端正で明晰な、時には清冽なといってもいいものなのだが、本書ではそれが際立っている。文章的にはもしかしたらベストワンに挙げてもいいかもしれない。
 一九八〇年当時、なぜ今、伊東静雄なのか。

 ……伊東静雄の詩を振りかえってみると、その詩はまことに激しく、重い。
 ……  ……
 その激しさ、重さが、教養化、技術化してしまった各種のメディアで日常生活の送りこまれてくる無数の詩にない、詩の原質を感じさせる。そこに伊東静雄の魅力がある。
 一人の詩人の詩業を語るためには、その詩人の全生涯は不即不離の関係であり、詩人の生涯とはまたその作品のすべてにほかならない。伊東静雄の生涯は真摯でひたむきな四十七年であった。彼ほど人生を凝視し、純化しようとした詩人は稀である。
 日本近代文学の課題としての、いかに生きるかという切実な主題を考える場合、そこに北村透谷から伊東静雄へという近代日本の知識人たちの軌跡といったものが思い浮かぶ。
 静雄の詩の凝視と純化は、人生そのものへの熱い視線であった。――それはそのまま詩の原質といえよう。伊東静雄の詩は、現代が既に過去のものとして捨て去ってしまった熱い魂をひたむきに蘇らせるものがる。
 ……  ……
 われわれは、伊東静雄の詩に示された詩の原質を、ふたたびわれわれの魂のうちに回復させるために、この苛烈な夢の詩人の生涯をその詩との対話を通して再検討するべき必然がある。
――「序―新しき古典として―静雄頌」


 それから丸二〇年経ってこの稿を書いた西暦二〇〇〇年現在も、さらに一六年を経た平成二八年現在も、このことは益々考えられていいことである。伊東静雄没後六三年、著者小川和佑没後一年半。新潮文庫の『伊東静雄詩集』と併せて今再び読み返すべき本である。

 ……この一冊は、「私の伊東静雄」的な色彩の濃い評伝となったようである。本書の後には、たとえばいまも継続している「伊東静雄書誌」の仕事や、「研究文献目録総覧解題」を踏まえての「伊東静雄研究史」のようなもの、あるいは個々の作品を一篇ごとに追求する作品論などの新しい課題に取り組まねばならないかも知れぬ。時間と健康が許すならば、それらに着手せねばという心が強くなったいる。
――「あとがき」


 これはわずか二年半後に『伊東静雄論考』で結実することになる。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
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