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『中村真一郎とその時代』
2017/09/05(Tue)
【書名】中村真一郎とその時代
【発行日】昭和五八(一九八三)年一一月一五日
【発行所】林道舎
【体裁】四六版上製、角背コバルトブルー厚表紙、函入り、帯付。口絵アート紙二頁(中村真一郎照影/自筆原稿「立原道造」三枚・色紙一枚・「四季」第六六号と「高原」第二輯の表紙)。
【頁数】二一九頁。
【定価】二〇〇〇円
【目次・内容】
Ⅰ 幻覚の饗宴
 1 幻覚の饗宴
  中村真一郎の梶井基次郎論 ボードレリアンとしての梶井基次郎
  視覚者としての文学   「桜の樹の下には」
  幻想と反世界   夢、あるいは想像力について
  (中村真一郎最初期の単行本未収録小品「窓」全文掲載)
  「死の影の下に」の意味
 2 マチネ・ポエティク
  マチネの詩   ひとつの時代   その史的位置
 3 中村真一郎の性と思想
  固有の思想   物語への憧れ
  その性描写   オンディーヌ志向
Ⅱ 作家以前の中村真一郎
 1 作家の幼年
  死の音楽   海に降る雪   心象の海   幼年
 2 青春と時代
  目覚め   父の死・青春   時代
  立原道造の死   高見順
Ⅲ 中村真一郎とその時代
 1 『恋の泉』――近代の日本と知識人
  『恋の泉』―六〇年代の文学と《性》をめぐる   風俗の最前線
  夢の構築・作家の想像力   小説の方法・小説のなかの時制
  反私小説の中の主人公、民部兼広   日本の近代と知識人
  八十年代の小説への架橋   『恋の泉』における性の思想
  筆者自身のためのモノローグ①
 2 『「雲のゆき来』をめぐる――思想としての性
  筆者自身のためのモノローグ②
  「うまく作られた不幸」に関する考察
  時間・劇中劇の問題点   メタモルフォーゼ・小説の手法
  ブルーノ・タウト   小説の魅力
  筆者自身のためのモノローグ③
  ある空想・中村真一郎研究について   思想としての「性」
 3 『四季』の意味――回帰する青春
  小説の失権時代   続・小説の失権時代
  老年という文学の主題   全体小説としての『四季』
  回帰する青春   筆者自身のためのモノローグ④
  記憶の迷路へ   私小説の中の青春
 あとがき
【解題】
 中村真一郎という作家は、近代日本文学史上最も批評しにくい作家であるとは誰もが認めざるを得ないことだろう。何より作家自身、古今東西の小説や詩歌に限らず哲学・芸術・文化に精通していて、なおかつ審美眼を具えた本当の意味での知識人であり、超一流の批評家だからである。
「一人の批評家が生涯かかって成し遂げ得るような仕事を、その第一の創造である小説を書きながら果して来ている」(Ⅲ―1)のであり、加えて自作についても、生半可な批評家ではとても太刀打ちできないような解説者となっている。文壇内・読書界の一部での中村真一郎への冷遇は、この作家に対するおそらく屈折した心理が働いていると思われる。
 そういうことを別にしても、小川和佑先生にとっては師である。論じがたいのは言うまでもない。だが、それは単に師だからという理由だけではない。それは最終章を読めば分かる。しかし、最終的な先生の「十七歳から始まる三十数年に渉った長い中村真一郎体験の到達」 (Ⅲ―3)点の如何にかかわらず、『恋の泉』『雲のゆき来』の作品論は(私が言うのは僭越だが)秀逸である。
 特筆すべきは、全篇を通じて先生の現代文学への状況論的な批判とヴィジョンが語られていることである。個人的なことになるが、本書あたりからようやく先生の新著をリアルタイムに読めるようになった私としては、この点が実にスリリングであった。
 本書刊行直前(昭和五八年八月)に行われた記念すべき第一回目の小川ゼミ合宿では、まさに「現代に文学の復権はあるか」というテーマを論じ合っていたのだった。私にとって、以後の先生の著作と大学での講義の関係は、本にすでに書かれてあることを授業で聞くのではなく、授業で聞いていたことが次の本ではこのように書かれている、ということが如実に分かるということになり、批評はおろか論文を書かない大学教授が増えている中、自分も文学の創造や批評の〈現場〉に立ち会っているというような、「生な文学」に触れているという実感が持て、たいへん貴重な体験となった。これは昨今の大学教育・機構の中では、特筆されていいことである。
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
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