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わが一九四五年――1 一九四五年という夏(1・2)
2018/04/29(Sun)
 わが一九四五年
 
 1 一九四五年という夏
     ――わが私的回想のなかで――

 
    1
 
 私にとっての記憶の基底部にある原風景は恒時、夏にはじまる。
 先ず、それは貧弱な一本の蒼桐があるばかりで、その向うに日の当たらぬ苔づいた石塀が作る真昼の瞑み――その頃、私は病んでいた。そして、それは病室の窓から見える唯一の情景であった。……とか、または、一本の青い樹木もないセピア色の瓦礫の拡がりのなかでしきりに啼く油蝉の声、やがてその広大なセピア一色の風景の涯に沈む陽。あるいは、土用を過ぎた午前の炎天下で聞かされた「玉音放送」の日の蒼鉛色の、そのくせ暑く湿った夏空の色なのである。
 十五歳の私は、そのとき孟夏の季節の最中なのに上着を着けていた。そこに集められた少年たちのなかで、例外的に私だけが上着を着用し、衿のフックまでかけていたのではない。すべての少年たちが、いちように私と同じような服装をしていたのだった。少年の私たちには軽快な夏衣の着装は許されていなかったのである。
 あれから既に三十余年になる。しかし、これは人生の半ば以上を生きてしまったもの特有の回想癖、回顧趣味とは本質的に意味を異にする。世間的小成功者が辛酸労苦の自己の過去を誇らし気に、また懐しみを籠めて語るスノビズムとは無縁のものだ。それは、いわば、私という「私性」に関わる原風景の主要な部分であり、私の存在の原点の集約だった。
 そして、その原風景を超え得た地点からでなしには、私の少年期というものはあり得ない。
 
    2
 
 現代の青年たちにとって、この私の「私性」に関わる原風景の意味は、はたして、理解されるかどうか、それについて多くの自信を持ち得ない。しかし、私はいま私の生きた時代と精神を語っておかねばならぬ。
 なんのために――。私にとっては「昭和五十年」という半世紀の重量よりも、「戦後三十年」がより重く、深い意味を所持しているからによる。
  たぶん私は、この国の古い精神の核にひそむ呪術者の精神に衝き動かされているのかもしれぬ。シャーマニズムとどこかで癒着した部分で、「語部」的に歴史の彼方の時間を語らされているのかもしれぬ。――私はいま、私が現代の常民に間にまぎれこみ、生き長らえ続けて来た土俗的な「無名の語部」の一人であってもいいはずである。
 しかしながら、それは決して老いた呪術者の呪術に名を藉りた繰り言めいた語り口であってはならぬ。
 一時代を生きた者だけが、その生きた時代を、次の時代に、現象としてではなしに、語り得べき時代の真実として、既に歴史の時間の底辺に埋没してしまったものを、また、語らずして終った沈黙の精神の所産を、そのまま等質に残したかったのだ。
 そのためには、私は意識的に私の内部で抑圧し続けて来た私の「私性」に関わる少年期について、いわばひとつの確信に基づいて、次代の君たちに証言せねばならない。
 それは「戦後三十年」を生きて来たものの責任であろう。

     ――小川和佑『わが一九四五年 ――青春の記録1』
        (昭和五十年九月・現代教養文庫・社会思想社刊)
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