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わが一九四五年――5 問うべき戦後とはなにか(3・4)
2018/09/05(Wed)
 わが一九四五年
 
 5 問うべき戦後とはなにか
     ――持続すべきもの
 
    3
 
 ……  ……  ……
 あの六八年、六九年。全国の学生たちを熱狂に巻き込んでいったあの苛烈な情感は、単なるイデオロギーの論理だけではあるまい。
 彼らは仮令、形骸化していたといっても、戦後民主主義による教育課程を経て来ている。どのような保守的な、また革新的な教師が教えようとも、その使用した十二年間の教科書は、民主主義の原則に貫かれている。――例えば、「現代国語」における丸山真男のエッセイ「であることとすること」一篇を対象にしても、あの政治の季節における行動の原理が、論理化されている。勿論、その教科書は文部省の検定済のものである。 ……  ……  ……
 このようにして、義務教育、中等教育の過程で戦後民主主義を精神の核として形成されて来た青年たちにとって、その精神的核となった原理は、現実において無価値に等しいと解った時に、彼らははじめてもう一度、彼らの精神を形成しようとした原則によって、現実を変革しようとする強烈な意思を自覚する。あの六八年、六九年の一季節が、こうした精神と行動の所産ではなかったろうか。
「帰ろう愛の天使たち(※)」の四城亜儀も、この戦後民主主義の精神に生きた一人の無名者である。四城亜儀が、彼に与えられ、彼の精神を形成したものすべてが、解体してもなお、彼は青年としてなおも愛に賭けようとする。退廃と破滅急傾斜しながら、なおも最後の真実を放棄することの出来なかった青年像に「雪の巣」の角達也、宮野尾文平、松永龍樹、「雲の翳り」の定本和雄、福田啓一とそれぞれの時代を生きながら、それらの青春群像はあの一九四五年八月十五日を原点とする、歴史を共有する青春を見ることが出来る。
 
※四城亜儀(男性とも女性とも分からないような不思議な名前で、筆名であると同時に、「僕」という作中の主人公の名前でもあり、そして彼は男性という設定なのだが、実際の作者は女性である)の小説「帰ろう愛の天使たち」の表記は、本書中で「帰ろう愛の天使達」と混在している。後年、二一世紀になってからの作者本人と思われるブログでも表記が混在していて、どちらがオリジナルなのか不明である。初出の『風群』第一五号(昭和四七年四月)はどちらであろうか。
 副題「――または無音のシラブルの意志について」
 同時期の文芸同人誌『海とユリ』に発表の別の作品では筆名も四城ひかる、四城亜儀、四城智貴と作品によって使い分けられている。
 なお、四城亜儀氏は昭和二三年(一九四八)大阪生まれで、平成三〇年(二〇一八)三月一七日以前(のおそらくその少し前)に他界されたが、Bruxellesのハンドルネームで「PLANETE BARBARA」というホームページを中心にいくつものブログを複合させたウェブサイトが死後も(おそらく遺族によって意図的に)残されている。

 
    4
 
 戦後三十年という歴史において、あの学園闘争が単なるイデオロギーによる変革の意志による単純な学生一揆という把握の仕方は粗雑である。暴力と破壊による反社会行為と批判し、否定した八・一五以前の世代の発言、殊に一九二〇年代生まれの知的領域に携わっていない無名者大衆の学生青年層に向けられた憎悪と批判に対して、あの時代の彼らは、その無名者大衆が当面している敵よりも、さらに怖ろしい存在だと気づいていたであろうか。
 無名者が無名者を憎悪し批判する過程で、戦後は衰死を遂げることによって完全に終焉せねばならなかった。いま、しかしといおう。では二〇年代生まれの無名者大衆が正義であり、学生青年層が、血で汚れているといい得るのか。さらに正義とはなにか。おそらく二十年代の無名者大衆はこの問いに答えぬであろう。なぜならば、彼らの発言は無名者なるがゆえに発せられ、無名者なるがゆえに責任は問われない。
 既にあの一季節は時間の彼方に流出した。すべては変らなかったままに、次の青年たちが、新しく大学のキャンパスを埋め、街を埋める。現代史にあの季節が歴史として正確に記録されるには、まだ長い時間を要するだろう。
 そして、一九四五年を原点とするものの一到達点として、われわれは重く暗い伊吹比呂志の連作短篇集『イルクーツクにて』(昭和47・8、深夜叢書)の一章「暗い春の終りに」を読まねばならない。
 この五〇〇部限定版の『イルクーツクにて』は多くの読者眼には触れなかったであろう。巨大化した情報産業の生産品である今日の刊行物の中で、五〇〇部という数は、無に等しい。 ……  ……  ……
 しかし、私に即していえば、多くの書評家の批判を浴びようとも、「暗い春の終りに」は、遅れて来た戦後文学、もしくは戦後文学の最終的作品としての位相を保有していると断言したい。例えば、この作品の直線上に梅崎春生の「日の果て」があり、椎名麟三の「重き流れの中に」があるといえないだろうか。伊吹比呂志の提起した文学的主題は戦後というものの現実をもう一度、一九七〇年代の読者に改めて示されたものではなかったか。
 知的領域に携わらない一九二〇年代生まれの無名者大衆と、戦後を生きた無名者青年との対立と抗争とが、この作品の北見年男とその父との父子像に集約されている。
 ……  ……  ……
 四城の長編『帰ろう愛の天使たち』の構成と手法が大胆で前衛的な知的冒険であり、それゆえに既成の小説にない新鮮な感性の所産であったとすれば、「暗い春の終りに」は、その逆な意味での戦後文学の正統性を主張し得る現実性がある。しかし、この二作をいま併読すると、それにもかかわらず、そこに自己の青春に深い関わりを持ち、その後の人生を決定的にした歴史に携わったものの証言という点で、同時代の他の作品にない文学的感動がある。 ……  ……  …… いま風俗としても痕跡を止めぬまでに風化したあの時代の急速な解体の意味を、改めて「帰ろう愛の天使たち」「暗い春の終りに」によって再検討することは決して無意味ではあるまい。
 その時、六〇年代、七〇年代の作家の文学の営為がどのようなものであったかが、この二作の対極に考察されるであろう。
「問うべき戦後とはなにか」という命題はこの時。、内なる声として、設定されるであろう。おそらく四城や伊吹たちの青春に対して、彼らがなにものをも見ていなかったということはあるまい。
                                      (了)
 
     ――小川和佑・編『わが一九四五年 ――青春の記録1』
        昭和五〇年(一九七五)九月三〇日初版第一刷発行
        (現代教養文庫八六三・社会思想社刊)

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