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『三島由紀夫―反『日本浪曼派』論』
2017/10/19(Thu)
【書名】三島由紀夫―反『日本浪曼派』論
【発行日】昭和六〇(一九八五)年四月五日
【発行所】林道舎
【体裁】四六版上製、角背朱色厚表紙、函入り、帯付。先の『中村真一郎とその時代』に準じた色違い同意匠。口絵アート紙一頁(終章の「一枚の肖像写真」で語られる剣道着姿の極めて健康で「どこにも精神の腐食の翳りがない」三島由紀夫のスナップ)。
【頁数】一五九頁
【定価】二〇〇〇円
【目次・内容】
誄辞――憂国忌十年祭に
Ⅰ 反『日本浪曼派』試論
 1 反『日本浪曼派』試論
   体験としての『日本浪曼派』 「水中花」・静雄詩
   戦後・反『日本浪曼派』   道造詩のナショナリズム
   午後の陽光
 2 昭和十年代の詩と思想
   「日本浪曼派広告」     浪曼派の詩人たち
   文学的に本主義       吉田一穂の詩
 3 伊東静雄
   ナショナリズムとしての『日本浪曼派』
   戦後の伊東静雄       『日本浪曼派』への参加
   浪曼者としてのナショナリズム意識
Ⅱ 終末からの出発
 1 三島由紀夫における少年期
   作家の死          特異な幼年形成
   詩を書く少年        「花ざかりの森」へ
 2 唯美と詩精神――「初期詩篇」「花ざかりの森」の位相
   作家の詩的体験       「初期詩篇」をめぐって
   「抒情詩抄」の周辺     『花ざかりの森』の世界
Ⅲ 花花の思想――作品論への試み
 1 短篇「剣」の美学――夭折への夢想
   所謂「三島事件」の記憶   一般論としての「武技」認識
   反時代的美意識       夭折への夢想
 2 文学とVisual Media ――川端、三島、中村の文学
   Visual Mediaのなかの文学  『雪国』とVisual Media
   Visual Mediaの肥大化    文学の危機
 3 『潮騒』紀行
   伊勢湾の海と空       夢幻劇の世界・海女の美しさ
   『潮騒』の愛        浄福の性
Ⅳ  憂国と死と
 1 虚妄としての行動の思想
   日本人の武器感覚      儀式と現実
   武技と教養         尚武の心
   再び美学について
 2 死者への献辞――回想としてのモノローグ
   『豊饒の海』終章      詩を書く少年への回想
   終末からの出発       一枚の肖像写真
 あとがき――憂国忌いくたび
【解題】
 戦後派の小説家で、小川和佑先生が終生追い駆けた二大作家は中村真一郎と三島由紀夫である。この一年半前(わずか一年半前!)に上梓された『中村真一郎とその時代』と対になる三島由紀夫論を集成した長編評論。本書の成り立ちは「あとがき」をそのまま引用した方がよいであろう。

 本書には作家の生前の一九六八年に執筆した反『日本浪曼派』論(原題「日本浪曼派」ノート」から、八四年の「死者への献辞」「憂国忌いくたび」までの十七年間の『日本浪曼派』論・三島由紀夫論を収録した。この中、「唯美と詩精神」を収めた『三島由紀夫研究』は研究の領域からの最初の一冊だった。この一冊が完成したおり、作家は非常に喜んでくれた。それを編者の一人としたいまは懐かしく回想する。――それから十五年、時代は深層で激動し、再び作家の思想が再評価されようとしている。ここに収めた諸論はその深層の逆流に対する筆者の刻々の意志を語ったものである。四章のそれぞれの主題は四重奏のように一つの統合された大主題を構成する。それは三島由紀夫逝き、保田与重郎の逝った現在、『日本浪曼派』の文学と思想とはなにかという問いに応えるべきものでもある。
 これは戦後詩・戦後文学に参加した筆者の自らにあえて問わねばならぬ主題でもあった。
 ――と同時に同時代者として、作家の輝かしい文学の出発から終末までを目撃した筆者の今年、憂国忌十五年祭に捧げる献辞でもある。
          ――「あとがき」(一九八五年 春)


 解題の必要がないほど明快に語られている。
 なお、Ⅲの2の「文学とVisual Media」は末尾(一〇五頁)に、

(補記)本稿は一九八四年五月十七日第四十五回国際ペン東京大会において、"Citnatune and Visual Media"のセクションで発表された原稿に基づいた一篇である。


 とあるが、"Citnatune"は"Literature"の誤植。「第四十五回」は「第四十七回」の誤りである。
 この国際ペン東京大会は、昭和五九(一九八四)年五月一四日から一七日まで東京新宿の京王プラザホテルで開催され、そのうち一五日~一七日の各三日間、分科会A、B、Cがそれぞれ開かれた。このうち分科会Cが"Literature and visual media"(文学と映像媒体)で、その最終日に小川先生は登壇した。
 この章はその発言を基にした原稿ということだが、おそらくその発言の元の原稿があり、元原稿、実際の発言、本書の決定稿と、それほど大きな異同はないものと思われる。つまり、最初から完璧な原稿を作成し発言したものと推測される。
 日本ペンクラブの公式ホームページによると、参加センター四五、海外からの参加二一九名、日本ペン会員参加三五一名、一般参加五三名と記録されている。
 当時、小川ゼミの現役の四年生であった仏文学専攻の五十嵐正人さんがその最終日に参加している。(本書の誤植に関してご教示を受けた。この場を借りて御礼申し上げます)。
 この大会の全体のテーマは「核状況下における文学――なぜわれわれは書くのか」というものであった。代表者会議で核兵器の廃絶についての決議案ほかが可決された。当時相当刺激的で画期的な会議として世間一般でも大いに注目された。私はやっと大学二年に上がって小川ゼミに入ったばかりで、文学を取り巻く現状認識などまるでなかったが、鮮やかな印象として記憶に残っている。
 時あたかも「1984」である。それから実に三十三年が経ったが、世界は良くなるどころか益々混迷を深め、核戦争の危機が「冗談じゃなく」現実のものとして目の前に迫っているというのにも拘わらず、一九八〇年代(の特にこの八三年あたりから八五年にかけて)の方がよほど危機感があったように思うのはどういうわけだろう。
「なぜわれわれは書くのか」という根源的なそして常に顧みられなくてはならない問いもとんと聞かれなくなった(ような気がする)。そんな青臭いことをと一笑に付していいのだろうか。この危機感のなさは、当時危機を感じて声を上げた多くの人がすでにこの世に亡いからなどというのじゃあるまいな!
 今こそ文学者はいっせいに卒倒すべきではないのか。パフォーマンスとしてでもいいから。今度の衆議院選挙に際して、国会議事堂前で本当に倒れてみたらどうだろう。(なら、お前がやれという話かもしれませんが……)。
          ――平成二九(二〇一七)年一〇月一六日記
☆西山蔵書 ◎五十嵐蔵書
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