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わが一九四五年――4 ヒロシマにはじまる(1・2)
2018/08/06(Mon)
 わが一九四五年
 
 4 ヒロシマにはじまる
 
    1
 

《じっとしているのよ、じっと。》女は両手でぼくの眼をふさいだ。じっとしていようと思った。そのままで瞼を開こうとすると、太陽が明るい血の色を透かして見える。明るい、実に明るい。
《ほら、五月でしょう。五月のように温かいのよ。》五月だから街も村も花花が咲く、花の匂いが五月をいっぱいにする。広い青い空に鳩が輝きながら舞って……。
《だからあなたったら坊やなの。どうしてさ、五月だっていっただけよ。》だから花がいっぱいに咲いて。
《あら、五月だときまって花が咲くの》ああ、咲くとも。
《嘘、嘘よ。あなたって、とっても嘘つき》
 
 ほんとうは、五月なんてどこにもありはしない。
《でも……、そんなことって、昔、よく知らないけど、むかしはあったみたいね》そうだ。五月は街中の少女という少女はみんな鳩になる。――知っているんだおまえのすべすべした左の腿に小さな淡紅色のあざがあることも。それから、胸の柔毛の奥に大切に蔵ってある可愛いいものを見せてごらん。見せてごらんてば、強情っぱり……。
 
 それは八月だった。乾いた土の中に新しい植物は育たない。そんなことはないな。きっと。新しい麦の一粒が生まれずに死ぬ八月があるはずがない。乾いた土地にも一本の青い芽。
《でも、そんなことって、ほんとに信じていいの、あなた。》
               ――「八月、生まれずに死ぬ」  


 旧い手帖に書きつけた習作である。先ず、中山士朗の短篇集『消霧燈』(昭49・7、三交社刊)収録の「雲の翳り」を論ずる前に、この同時代の作家と同じ時代を生きた、あの夏の記憶作家に倣って、もういちど蘇らせねばなるまい。私はこの記憶の蘇生をもうなんど繰り返して来たであろうか。
「八月、生まれずに死ぬ」は、その記憶の蘇生のモニュメントとも呼べない小断片なのである。
 
    2
 
「あゝかくて 誰がために 咲きつぐわれぞ」(昭18・9『春のいそぎ』弘文堂書房刊所収「誕生日即興歌」)という伊東静雄の詩句がある。この一句がいつまでも奇妙に鮮やかにひとつの夏とともに私の心に残っている。
 ――一九四五年七月十五日の夜は雨。
(※明らかな誤植かどうか確証がないのでそのままとしたが、この日付は宇都宮大空襲があった「七月十二日」の誤りだと思われる)
 夕立がそのまま上がらなかった。爆発音で私が目を覚ましたのは、まだ十二時前だった。私は当然起っていいことが起ったと思った。その時期が来たのだと素直に与えられた現実を受け取った。いま考えて見るとこれは十五歳の少年の諦念のようなものであった。
 暗夜であるはずなのに室内が明るかったのは、火炎が間近だったからであろう。私はいつもの通り、服に着替え、ゲートルを巻いて、編上靴の紐を結んだ。それから自転車を引き出し家を出た。重い雑のうのなかには当座のものが一切ある。――何処へ行こう。私は人が歩いていく方角についていこうと単純に考えた。一種の群集心理であろう。門を出る時、私はもう一度、わが家を振りかえった。家はひっそりと、炎の逆照射のなかに黒々と浮かんでいた。庭木がそれよりも黝い翳をつくっている。まだ家の中には伯母と叔父がいるはずだったが、私はなにも告げずにひとりで家を出た。一切の執着はなかった。類焼をまぬかれることはないだろう。確実に今夜、この家が焼亡する。――しかし、それがどうしても実感とどこかで結びつかなかった。私は例の空襲警報の夜の学校防空要員で家を出る時と、全く同じように、それと異なるのは、この夜の群衆の流れのなかに、私自身では大変冷静にまぎれこんでいった。この十五歳の感情はいま回想してみても、どうしても説明がつかない。
 爆撃は急速に激しくなって来る。落下距離が次第に近づいて、至近弾が落ちはじめる。華麗な火文字のように焼夷弾が雨の暗夜に拡散する。新しい火炎が群衆を追いかける。私は自転車のペダルを踏んで、暗い方へ暗い方へと、本能のように走っていった。
 やがて、国道四号線の広いアスファルトの舗装道路と交差する地点にたどり着いた。そこは火から遠かった。その手前に小さな雑木林が道沿いにある。私はその林の縁りで自転車を乗り捨てた。私は疲れていたのではなかった。そこで私はもう一度、自分の街を見た。街の下手、この古い城下町では下町と呼ばれる商店街すべてが燃えているらしかった。国道四号線がその燃焼する部分を二分している。そして、最上の空白の空間を火炎が地を這って飛んでいる。私はそれを狐火のようだと思った。
 この間、家を出てから、ここにたどり着くまでの間に聞こえたはずの物音、交わしたはずの言葉は、なにひとつ憶えていない。記憶はいつも黙劇のように情景の連続だけが浮かんでくるのは、この時、私はどのような心理過程をたどったのであろうか。
 後年、三島由紀夫の『金閣寺』を読んだ折、炎上する金閣寺を見ながら、放火した青年僧が一種の安らぎを感じている描写を読んで、ふいに、この古い原風景が、私のなかで鮮やかに蘇生した。
 私はあるいは、あの夜、私の街、私の家が焼亡することによって、一切の過去と切断されたのか。私はおぼろ気ながら、私の前に新しいなにかがはじまるであろうという期待のようなものを感じていた。――つまり、私は私の人生がいま眼前に焼亡しつつある情景を原点に新しいなにかがはじまるのではないかと、たいへん無邪気に無自覚のうちに期待したのではないか。
 
     ――小川和佑『わが一九四五年 ――青春の記録1』
        (昭和五十年九月・現代教養文庫・社会思想社刊)
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