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詩集『雨・梨の花』
2013/05/04(Sat)
【書名】雨・梨の花 小川和佑詩集
【シリーズ名】VANシリーズ⑧
【発行日】昭和五一(一九七六)年三月一日
【発行所】VAN書房
【発売元】近文社
【体裁】文庫判、カバー装、本文厚めの用紙。
【頁数】奥付を含めて三三頁。以下一五頁に渡って「☆あなたの頁です。感想文・詩などを書き入れて下さい」という余白がある。
【定価】二九〇円
【目次・収録作品】
 雨・梨の花
 八月、生れずに死ぬ
 鯉魚賦
 夕顔
 晩夏の頃
 春の岬
  あとがき
【解題】
 実は今や門外不出ということで、先生と奥様、そして私とIさんだけの秘密ということになっているのだが、VAN書房のミニ詩集シリーズとして公刊され、定価も付いているのであるから、紹介するのは差し支えないだろう。
 同シリーズ発行人の伴勇氏が、先の『戦後詩大系』に感銘を受け、氏の強い勧めで実現したものらしい。あとがきにこうある。
 
 十数年前に詩稿「雨・梨の花」をひそかにまとめた時点で、私は詩筆を折っている。それまでに十代から約十年間、私は詩を書き続けていた。その時代のいわば若書きともいうべき私の旧い詩稿は散逸してもう残っていない。
 もし、自分の青春の形見に詩篇を残すとするならば、この「雨・梨の花」の詩稿のみだというように考えていた。
 しかし、それを一冊の詩集にまとめるという気持は当時も、いまもまったくなかった。
 今度、畏友伴勇氏の厚意と友情によって、この詩稿を一冊にまとめて置きたいという気持になった。そういう機会でもない限り、私の詩稿は詩集にはならなかったろう。
 
 というのが出版への経緯であるが、『戦後詩大系』に見える詩集『雨・梨の花』というのは、従って本の形としては存在せず(?)、また収録作品も変更されている、と考えられる。つまり、先の『魚服記』や『渇く空』はないものとして、これが唯一の《小川和佑詩集》であるというスタンス。だから本当は、著書目録に仮に詩集を入れるにしても、これ一冊にして、あとは闇に葬ってくれということだと思うのだが……(先生、申し訳ありません)。
 さて、「晩夏の頃」では、次男・靖彦さんが生まれている。和彦さん三度目、靖彦さん初めての夏ということは、昭和37年。先生三十二歳。
 
 ……  ……
 和彦、そして靖彦もここに来て、耳を澄ませてよく聴いてごらん。一日が終り、一つの季節が終るためには、蜩はあんなに啼かねばならないのだよ。
 ……  ……
 そんなおまえたちの知らない、あの瘴気にゆらめく褐色の強烈な夏の記憶を話そうか。あの夏の終りもやっぱり蜩は啼いていた。……  ……
 ……  ……
 和彦、そして靖彦。だからもう少しこうやってあの声に耳を傾けさせてくれないか。あれからの日々がどんなに厳しく遠かったか、もう一度、このままで、ゆっくり思い出させてくれないか。
                    ──「晩夏の頃」
 
「あの夏」とは、もちろん昭和20年の夏である。それについては『青春の記録』の項で触れるが、のちにそこで語られることになる戦時中の勤労動員先での一挿話が、「夕顔」の中でも詠われている。
 
 遠い田舎の町から勤労動員で送られて来た少女は、そんな時、遠い眼をした。
 病室に見舞に持って来た花の名はもうとうに忘れている。あれから戦争は済んだが、生活は終っていない。いったい倖せなのだろうか。今も時時、あんな眼差しで空を見るのだろうか。
                    ──「夕顔」
 
 先生は旧制中学生。十五歳。この一挿話が、「夕顔」という詩の「転」をなし、この詩を単に「王朝物語は舌に苦い味を残した」というだけのものではないものにしている。
 そして、二つの詩集(『魚服記』とオリジナル版『雨・梨の花』)いずれにも採られている「八月、生れずに死ぬ」は、『わが一九四五年』(「青春の記録」1)にも、さりげなく、しかし、あの夏の「記憶の蘇生のモニュメント」として収録されている。(行分けの仕方等いくつか異動がある)。
 
 本当は、五月なんか何処にもありゃしない。
                    ──「八月、生れずに死ぬ」
 
 この部分だけを抜き出すのはどうかと思うが、これは明らかに立原道造の「爽やかな五月に」(これと同一モチーフによる「草に寝て……」の現実の時間である〈六月の或る日曜日〉が、ここでは意図的に〈五月〉に繰り上げられている)的な世界に対応している筈で、立原にとってのエッセイ「風たちぬ」がそうであったように、小川先生にとっての「うたのわかれ」だったのではないか。五月ではない、「それは八月だった」と言う時、しかしその向こうに見ていたのは伊東静雄ということでもない。やはり「あの夏」なのだ。だが──。
 
 ……乾いた土の中に新しい植物は育たない。そんなことはないな、きっと。新しい麦の一粒が生れずに死ぬ八月があるはずがない。
                    ──「八月、生れずに死ぬ」
 
 これは、次に配列された「鯉魚賦」の、
〈生き続けて見ようか〉
 というリフレインに繋がる筈で、頭に「戦後を」という言葉を付け加えてもいいだろう。
☆西山蔵書
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コメント
- 誤植 -
なお、詩集『雨・梨の花』の「あとがき」の日付が、
「一九五一年春」となっているが、
「昭和五一年春」の誤植であろう。

この時、小川和佑先生は満四十五歳だった。
2014/02/01 21:45  | URL | 西山正義 #.HLnMhoY[ 編集] ▲ top
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